やや晴れ?の、薄曇り。
じっとしてると肌寒い。
3月20日、春分の日に願うと何でも叶う…!に向けてお勉強中。
何でも叶うとはいうけれど
願い方が重要ということで、
それを端的にまとめるのが難しい。
しかも、
自己中な願いでないとダメなのだ。
宝くじ一等当たれ!とか、金持ちになりたいではダメ。
豪邸に住みたいとかもダメ。
あれが欲しいこれが欲しいでもダメなの。
いやいや、、願い事って、普通そおいうもんじゃない?
でも、
本当に叶う願いごとは違うのだそうだ。
どうなりたい?
どうしたい?
どう在りたい??
どおいう状態を望むの???
意外と、
これを明確にするのが難しいんよ。
我々は、嫌なこととかこうなったら嫌ー!ってことを考えるように教育されているから。
まずは向く方向を変えることから。
自分のクセを自分で矯正していくような作業。。
とりあえず、
参加フォームには
『好きなことが好きなように出来て幸せに豊かに健康で楽に自由に暮らす』
と書いた。(*´ω`*)
どうなりたいか?その究極系状態って、幸せに〜みたいな概念になりがちじゃない??
これで良いのかは分からないけど、
「どうなりたいか」を突き詰めていったら、大体みんな同じような内容になりそう。
あと、
今日思ったのは
『ほっこりした気分で安心して心のびのび希望を抱きながら生きたい』。
あれもこれもと欲が出て、端的にまとめるのが難しいけど、
多分、
人類共通の願いって、
楽して豊かに生きたい、幸せに、安心して暮らす、
だと思う。
人間なんて根本、怠け者だし。
優越感も抱きたいし、マウント取りたいし、ぐーたらダラダラしていたい。たまに、動きたくなったら動くのが理想、みたいな。
私にしたら、
北海道のキャンプ場で暮らしていた時が理想かな。
無料でいられて家賃ゼロ。湧き水の出る水道があって。トイレぼっとんで臭かったけど、市が掃除しに来てくれてたし。ゴミ回収もしてくれた。
とりあえず自分が食っていけるお金があれば好きなだけ居られて、好きな場所にテント張って、好きな時に寝起きして、酒飲んで、仲間と呑んで、夜は星を見に行って、朝は、朝日と鳥の声で起きて。エゾリスがぴょんぴょん歩いてて、近くを流れる小川が冷蔵庫代わりで、側には野生の三つ葉が生えてて。胡桃の木もあったから、秋にはよく胡桃が落ちていた。
人付き合いも自由、
仕事するしないも自由、
いつ寝て起きても誰にも迷惑かけない、咎められない。
たまにふらっと観光へ出掛けて。
六花亭のサクサクパイが食べたくなって、日帰りでバイクに乗っけてもらって帯広に行ったり。
いやー
自由だったなぁ。。!!!
毎日が夏休みの、夢のような時間だった。
人の出入りも毎日あったから、出会いの宝庫でもあったし。私は引きこもりだったけど。
みんな、各々のペースとパーソナルスペースで生きてて、ゆったりしてて良かったなぁ。。
あの生活が、ある意味理想なんだよね。
キャンプ場は確かにキャンプする場所であって生活の場ではないけど。
あんな風に、暮らせたらなぁ、、って思っている。
今の島がけっこうそれに近いと思ってたけど、
住んでみると島の行事に役員仕事が多過ぎて自分の仕事も満足にできない。だから敢えてサボることをしないといけなくなった。どこかで、手を抜かないと自分がもたない。
ただでさえも不便な離島で、これはキツい。
なるべく、協力はするけど。
ちょっと仕事が多過ぎるんよね。身体もたないよ。ストレスでアル中になる。
だから、もうこのままずっと島に居続ける執着心は捨てた。
別に、最悪別のところに住んでも良い。
幸せに、豊かに、楽に、好きな人たちと、好きなことをしたい時にして、健康的に、安心して、ほっこりした気持ちで希望を抱いて生きる。
赤瓦の家に住みたかったのは、自分の理想、エゴを満たすためだった。ある意味、優越感が欲しかった?エゴを満たせた満足感が欲しかった??
多分、そんなカンジ。
自◯◯が嫌なのも、安心して暮らしたいから。
他国の脅威を常に意識してて武器を所有したり訓練したりする組織が身近にいたら安心して暮らせないよ。常に、非常時を想定してしまう。だから基地とか嫌なんだよ。
安心して暮らしたかったんだ。
あと、希望も欲しいよね。
生きてる充実感。これで良いんだという、確かに前に進んでる感のある充実感。
ゆいまーるで仕事するのも、充実感があるからだ。
誰かの役に立てたという充実感。誰かを喜ばしたいという充実感。自分の存在を喜んでもらえる充実感。
多分、ヒトの求めてるものって、
カタチは違えど、概念で見たら同じだ。
若返りたい、綺麗になりたいのも、自分に自信を持って、行動したいという充実感から。
うむ。
《充実感》、けっこう大事なキーワードじゃない??
20日に向けて、
突き詰めていきます。