今日から6月。
でも特に何が変わった訳でもなく。いつも通り。
激しく雨が降ったり止んだりして沖縄の梅雨は激しい。
内地みたいにしとしと雨のなか傘さして紫陽花見ながらお散歩、とかできないのがちと残念。
そんなことを島で言うと「じゃあ内地行けば?」と、なりそうだから言わないけど。
島には島の良さがあるように、
内地には内地の良さを言ってるだけなのにな……
何でも島が一番!って気質は難しい………
自分の住む島が一番!って思うことは勿論良いと思うけど
それぞれに、
それぞれの良さ・、わびさびがある。
私は、ただそれを認めているだけ。
離れてみてこそ、当たり前だったものの良さや素晴らしさが分かる。それに気付けたことは、本当に素晴らしいことだと思う。
でもそれが分からない人にとってはイラつくらしい。これが、波動の段階が違うということか。?
自分が、新しい次元に行くと
合わなくなってくる人が出てくる。
互いの次元が違うので、合わなくて当たり前。
私は、幼い頃から家族と合わなかった。
だからか、「お前は変だ、変だ、」とよく言われた。親にそんなこと言われると自分が思ってる以上に傷付く。幼稚園児の頃からとかだから。
なにかにつけ、しにたいと思い始めた時期と一致するのかな。
多様性や、価値観の違いを認めてくれる家ではなかったね。。
反発したら生きていけないと思ったから、おとなしく、ロボットみたいに従って生きてきたよ。
おかげで、幸せじゃない状況が 普通になった。幸せになると、違和感を感じてしまう。
ニートになって好きなだけ泣いたり自分と向き合うまで、自分の好きなものが何かも分からなかったよ。“世間様”に合わせて物言ってるだけだったからね。好きなことを表現することに罪悪感を感じる。
今もリハビリ中。
頭では「人間、幸せになるために生まれてきたんだ、幸せになっていいんだ!」って思ってても 幸せになることに恐怖感を感じる。。これは、哀しいことだね。。
子供に、こんな想いを植え付けてしまったら、子育て失敗だと思うよ。不良にもならなかったし警察の世話にもなったことないしスポーツや勉強もそこそこできるようにはなったけど。
せっかく生えた羽根を仕舞いながら生き、
羽根を伸ばして羽ばたこうとすればもぎ取られる。そんな人生だよ。
旅してる時だけは、その羽根を伸ばして羽ばたいてる気分になれた。
お金がある間しか続かなかったけど。
キャンプ生活はホームレスみたいだったし ヤバイくらいの孤独もたっぷり味わったし。
自由も、束縛あってこそだと思ったっけ。
最近、気付いたことがあって。
それは、「死にたい」と思えるのも、幸せなことだな~って。。
「死にたい」と思いながらもとりあえず不自由なく生きられてるのと
「死にたくない」と思うほど何かに怯えて生きてるの、
どっちが幸せかな~って考えたら、
あぁ そりゃ~いつ死んでもいいや、って思えるほうだなぁ、、って。
死にたいって思うことは不幸なことだと思ってたけど、
いつ死んでもいいや、って思いながら生きられるって、実は幸せなことじゃないかと思った。悔いや、思い残すことがないってことだもの。無責任でいられる幸せというか。
自分は絶対死んじゃダメなんだ、死んでる場合じゃないって思いながら生きてるほうが、私は辛いなぁって思った。生きるか死ぬかなんて、結局分からないし。逃げ場がないし。生きなきゃ!って責任感バリバリで、でも死ぬしかなくなったとしたら悔いが残り過ぎて本当に辛いと思う。悔いの残るような人生は辛い。
いつ死んでもいいや、って思えるように生きてるって実は幸せなことかもだったかも、と。
あぁあと、
もうひとつ最近気付いたことがあって。
それは、何で「人様に迷惑をかけてはいけないか??」という答え。
何で、人様に迷惑かけてはいけないかっていうと、それは、「恨まれるから」だと思った。
人様に迷惑かけると恨まれる。
恨みは、念となり 必ずのちのち悪い作用として還ってくる。仮に、自分に来なかったとしても、子や孫の代に、必ず、還ってくる。
これはもう宇宙の法則的に逃れられない法則。
だから、人様に迷惑をかけてはいけないと、昔から言うんだと思う。犯罪にならなきゃいいとか、そおいう問題じゃなく。。恨まれないようにするための、格言。
誰もが、自分に注意してくれる訳じゃないから。
大概は、何も言わず、でもアイツ迷惑だな~って恨むよね。天罰が下ればいいとさえ思う。それが念となり呪いとなり相手の不幸を招き続ける。
これは、なかなか恐いことだと思う。
人間って、良いことより悪いことのほうがよく覚えてるもの。
徳を積み、「ありがとう」って想われる生き方をすることはやっぱり大事。
宗教やってなくても徳を積む生き方をしたほうがいい。
他人から「ありがとう」と想われることが、
知らず知らずやってくる呪いから自分を守ってくれるものになると思う。
なんかふと
そんなことを 思いました。
でも今 我が家は不協和音が渦巻いていますが。
まぁまぁ 『光』が未来に在ることを信じて、光ある未来を見て 過ごすようにはしています。
不幸を受け入れた平穏な毎日が幸せとはもう思えませんから。
多少の荒波が立っても、結果として幸せな未来があるなら
そちらを選ぼうと思います。
。