離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

2月16日 記憶と無意識のカスも断捨離。

 

 

 

曇り。

 

 

 

 

夏の暑さだった昨日から一転、風が出て肌寒くなった。

 

 

 

 

 

 

 

今日は色々あってキビ刈りをサボってしまった。

 

 

昨日、慣れないことを色々やったので疲れた。

 

 

あと、去年から出そうと思っていた手紙をようやく書き終えて出してきた。

 

 

 

 

農作業で腕が慢性疲労を起こしていて、字が思うように書けない。丁寧に書こうと思っても乱れる。綺麗に書こうとするととても時間がかかる。それでも満足いくようにはなかなか書けない。

 

 

 

そんな調子で、

ただでさえ内容をまとめるだけでも大変なのに、字もまともに書けなくて苦労した。

 

 

 

何度も何度もレポート用紙とボールペンを使い切る勢いで書き直し、

送る封筒の宛名も五回書き直して、

ようやく、ポストに投函。

 

 

 

それでもちゃんと書けたかは不明だ。

 

 

上手くまとめきれなくて、とっ散らかった内容であることには間違いない。

 

自分的に丁寧に書けたつもりでも、他人から見たら大して綺麗ではないのも自覚している。

 

それでも、

どうしても書き上げたかった。

 

 

 

とりあえず、出来る限りはやりきった。

 

最後、

郵便局に行って切手代を調べてもらうのも面倒で、自分でグラム数を測って家にある切手を多めに貼って出した。

 

 

 

あとは野となれ山となれ。

 

 

去年からの宿題をようやく済ますことが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

他、

 

 

 

昨日、役場にお願いしていたことがある件で、折り返しの電話が来たが出れなかったので改めて掛け直してみたら、なんと着信履歴と発信履歴を間違えて全然違うところに掛けてしまった。

 

 

 

 

また恥をかいた。。

 

というか、

先方に申し訳ない。。

 

 

 

 

 

 

電話が苦手過ぎて、かけるまでに時間がかかるし、

いざかけたら確認不足で間違えるし、

 

もう何やってんだろ。。(。-_-。)私バカ。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ抜け落ちている。

 

 

 

普段の話相手がいない。

 

 

 

 

普段、話さな過ぎて、滑舌が悪くなったし、声も上手く出なくなってきた。ただでさえ呼吸器が弱いのに、喉を使わないから弱る一方。

 

独り言でもいいから、喋ったほうがいいのかな。。

 

 

 

 

 

小学生の時に、遊び相手がいなくていつも一人で遊んでて、いわゆるイマジナリーフレンドを作って一人で喋りながら何か遊んでた時期がある。

 

あれはあれで楽しかった思い出はあるのだが、完全にヤバい奴だよね。。(*´ω`*)

 

 

 

今振り返っても、あの時の私はどこか精神病になりかけてたんじゃないかと思う。

 

 

 

今は流石に独り言も言わなくなったけど、

頭の中は常に忙しい。

 

 

 

思考のゴミやカスを出して、すっきりさせないとだな。

 

 

 

 

すぐに懐疑的になるクセも改めたい。

 

 

 

 

断捨離できたら、もうちょっとすっきり出来るのかな。

 

 

 

三線

ヤフオクで売れなかったら燃やす。

 

 

 

製作者のことを思うと申し訳ないけど、

超個人的な意見としては、実はあまり良い記憶がくっついてない。

 

 

頑張って、民宿ヘルパー一ヶ月分の給料はたいてい買ったけど、

一ヶ月間、1日12時間くらい働いて給料が約七万って、安過ぎるよね。

 

というか、

給料が安いぶん感謝されるとか、「ありがとう」とか言われていたのならよかったんだけど。

 

宿の人にはロクに挨拶もしてもらえなかったし、

一緒に働いて、我々が支えていたはずのおばぁからはありがとうなんて言われたことない。いつも、難しい、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

色々と苦労があるんだろうなと察して何も言わないようにはしてたけど、やっぱりとても悲しかった。

 

そりゃあ、周囲の人からみたら奴隷って思うよね。

 

そおいうことを平然と言ってくる人がいたのもショックだったし、人に見下される経験も初めてだった。

今思えば、そおいうマウントマンな人だったと分かるけど。

 

 

 

 

そおいう中で、

悔しかったり悲しかったり、仕事も、共同生活しながらで大変だったし、

手を抜いて遊びながらやってちょうどいいくらいの給料ではあったけど、泊まるお客さんのことを思ったらいい加減な仕事はできなくて、ちゃんと、ホテルで働いてた時のように、私は仕事してた。長期間ニコニコとストレスなさそうに働いてた人は、ちゃんと手抜きしてた。

手抜きしても、おばぁに気に入られてさえいれば怒られることはないし、勿論クビにもならないし、給料も同じだけちゃんと貰える。

そおいう、不平等とエコ贔屓が平然とまかり通る環境でもあった。

いや、要領よく出来るかどうかの差が如実に出たのかな。

不満に思うくらいなら、手を抜けばよかったのかもしれない。

真面目過ぎてバカなのは私だったのかも。

(まぁ、あの時はそれが精一杯だったし悔いの残らないようにはやったから、それで良し。)

 

 

 

沖縄では、本当に自分の実力が結果として出やすい。

狭い島社会というのもあるのかな。。

 

 

 

 

 

三線を見る度、

少なからずその記憶が蘇る。

 

多分、無意識の中には、絶対に蘇っていた。

 

 

それはあまりよくない。

 

 

 

あとは、

 

三線習うとしたらこの人がいいなーと思ってた人に、「ナイチャーが他所の島の唄を歌うな」って言われたことがあった。

すごい差別意識だよね。

 

島の唄をうたうなら、まずは自分の地元の唄をうたえ、って意味だったらしいけど、

 

私の地元は東京の片田舎・新興住宅地。

通ってた学校も、小・中共に通学中に10周年を迎えたくらい、新しい地域。

 

 

その土地の唄など、民謡などあるはずがない。

 

 

それを言ったが、

新興住宅地なんて知らない島育ちのその人は、全く耳も貸さず、理解しようともせず、自分の主張を繰り返すばかり。

 

本当に無い、地域もあるのに。。

 

調べたらあるはずだろ?!無いなんて、お前が知らないだけだ!って、、、、、、、、頭ごなしに、、、、、

 

 

 

知らないのはアンタじゃないの?って思ったけど、

聞く耳持たないし、、

全否定。。

 

 

 

 

 

これも、

悲しかったなぁ。。

 

 

 

 

もう死んだ人だけど。

 

 

 

最後まで、理解はされなかったし、

 

仲良くもしてたけど、

多分、向こうからしたら表面的なものだったかも。

 

種族を超えた理解は難しい。

そもそも、世代も、育った環境も違うんだけど。

 

 

 

 

 

自分の認めた人の話しか聞かない、

そおいうタイプと話すのは難しい。

 

 

 

 

そんな調子だからか、

 

 

結局、

 

島の人でも三線を弾く人は減ってしまった。

 

本当は弾けるけど、

公の場、行事では絶対弾かない、とか。

 

ナイチャーの人は尚更、本当は弾けるけど、建前上、弾けないと言う。

 

弾くと、何言われるか分かんないし。

島の人の前に出るようなことはできない。

 

 

出身地は努力で埋められるものじゃないんだし、

みんな、島が好きになったから島に来て、島に住んで、良いと思ったから三線も弾いてるのにね。それを、島人かナイチャーかで見方や扱いが変わるのはキツい。

 

 

 

個人的に認める認めないとか、好き嫌いはあると思うけど、

 

そうそう人を根本から決めつけて否定するようなことは言わないほうが良い。

 

 

 

 

なんか、面倒よね。

 

 

そおいう、

なんか差別的なこと言われたよねーっていうのが三線には染みついているから、

 

 

断捨離する。

 

 

 

 

その物を見て、

記憶や無意識に暗い影を落とすものとは決別する。手放す。断捨離。

 

被害者意識を捨てる。

 

 

 

 

 

どうせ島出身者が弾くのしか認めないというなら私が頑張る意味はないし。

 

そもそも、教えて欲しいと思える人にも出会ってないし。

 

 

三線は、やっぱり口伝で教わるものだから。

 

 

口伝が得られないなら、独学で頑張る必要もなし。そもそも誰も求めてない。口伝が得られないのなら、それは必要ないんだろう。少なくとも私の人生に於いては。

 

島人の誰かが、引き継いでいけばいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かが、

 

きっぱり

さっぱり

 

 

できた。

 

 

 

 

 

 

「その物を得る前、あなたはそれを持っていなかった。」

 

(その物を得る前、自分はそれを持っていなかったけど、何も困らなかったし、充分幸せに暮らしていた。)

だから、手放しても大丈夫なんだよ。

何も変わらない。

大丈夫。

 

 

 

さとうみつろうサンが言っていた。

 

 

 

 

 

あとね、

 

 

序列の発生する伝統は廃れるんだよ。

 

 

みんな、序列を決められるのなんか嫌だし、嫌な思いをするものなんか、誰もやりたがらなくなる。

当然なんだよね。

 

 

 

 

伝統が廃れるのは、やらなくなった人のせいではなく、

 

やりたくなくなるようなやり方を通してきた結果。

 

 

 

人々に必要とされるものは必ず残っていくから、

 

残らないということは、もう必要ではないということ。

 

必要じゃないんだから、続ける必要もない。

 

 

悲しいけど、

受け入れないとならない。

 

 

 

物事の真理として、

必要なものは残るし、

必要じゃなくなれば残らない。

 

 

言葉や文化も、そうやって進化してきた。

 

 

失くなってしまうのが悲しいなら、自分が引き継げば良いだけ。

 

 

 

自分がやりもしないのに、嘆くのは違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ話が逸れたけど、

 

 

 

島の伝統文化など、私が引き継ぐものではないということ。

私はあくまで趣味の範囲で、楽しく音楽します。

 

 

 

哀しみも苦しみもあるけど、それを昇華させるための唄をうたう。

 

哀しむためじゃない、苦しむためでもない、

 

仮に、それがあっても、乗り越えて、昇華させて、美しく逞しい、幸せなキラキラにしていく。

 

 

 

 

 

別に、三線が嫌いになった訳ではない。

民謡への興味がなくなった訳でもありません。

 

もしも教えてくれる人に出会えたなら、喜んで学ばせて頂きます。

 

 

次、弾くときにはもっと幸せな記憶と共に。

 

 

 

 

っつー訳で、

 

暗い影を落とすものとはバイバイ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物を減らしていくって、

 

不思議な感覚かもしれません。

 

 

 

 

 

喪失感を伴うようで、爽快。

 

物は失くなるのに、新しい何かを得られていく感覚。

 

 

 

 

 

 

 

きっとこれも、

 

新しい時代に向けて無意識に働きかけられてることの一環なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

島の人が偉いとか、古くから住んでる人が上とか、そんなのはない。

勿論、後から来る者は郷に入れば郷