離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

4月23日 この叫び声を聞け








雨。











台風2号の影響で、青空が見えてるのに雨が降ったり

曇天になってすげー雨降ったり。










湿気がすごいのだろう。

庭になってたナーベラ(ヘチマ)の実が、大きくなる前にカビの胞子に包まれていた。





















昨日は不安や哀しさに包まれていたけど

今日は比較的大丈夫。










ネットを開けば、「死にたい」という声がたくさん溢れている。





やるせなさ、無力感、怒り、不安、恐怖、、    





そんなものを全部ひっくるめての死にたいなんだと思う。私は幼稚園児の頃からずっと思っていた死にたいのベテラン。(о´∀`о)









今はどうかと言うと、今も頻繁に死にたいと思う。たくさん思う。何なら毎日思う。




私にとって(自分の)死は不幸なことじゃない。

この 絶望的な毎日から解放される希望だ。






ただ、

人間、

残念ながら死にたい時には死ねない。





自殺は、どうやら幽霊になっても相当苦しむらしいからパス。


魂は不滅だから、自殺して終わりじゃないらしいのだ。つーか、自殺しちゃうと更なる苦しみを味わうとか。。どんだけクソゲー??





という訳で自殺は止めとこっかな~という結論。







という訳で、

最近思っている残された道は、

《死ねるように生きる》である。



寿命を全うするのが一番楽に死ねる方法じゃないかと。。







あと、

やりたいことを死ぬ気でやる。




それで死ねたらバンザイだし、

死ななくても、やりたいことやれたんならバンザイだし。どっちに転んでもバンザイ⤴。









世の中(日本?)の、

『死』は最大のタブーであり不幸、って考え方が罠だと思うんよ。



そりゃあ、大好きな人が亡くなったら哀しいけど。。




無理に生かすのが良いかといえば………必ずしも良いとは思えないケースもある訳で。。




死生感は人それぞれでデリケートな問題ではありますが、


とにかく

今の世の中『死』に対する恐怖心の植え付けが異様なくらい異常に恐怖を植え付けられていると思うのだ。

何故そんなに『死』への恐怖心を植え付ける??


『死』を恐怖するほど、思いきり生きられなくなる。生きることに臆病になりゾンビ化する。

なんか、我々をゾンビに仕立てる罠みたいな価値観じゃないかとも思うさー。。




まぁ、野性動物みたいに死の概念がないから死ぬまで本気で戦えちゃいますみたいのもどうかと思うけど。(´-ω-`)














***

人々が死にたいと思う時の原因として、


こちらの気持ちを受け取ってもらえない、話を聞いてもらえない、

というのがまずあるように思う。





ロボットのように仕事をこなして死にたいと思ってる人も、本来は死にたくて仕事をやっている訳ではない。

生活費を稼ぐためだったり、仕事そのものに(最初は)魅かれたり。

でも、

やってもやっても思ったように稼げない、仕事のやり方などに意見を出しても一向に改善されない、

そおいう無力感、やるせなさが募ると、死にたくなる。



いじめで一番キツいのは無視されることだ、っていうけど、、


いじめじゃなくても、自分の意見や気持ちを受け取ってもらえないって、死ぬほど辛いことなんだな。。




私も、母親にはナチュラルに無視されるのが日常茶飯事だった。話し掛けてもほぼ返答なし。これは、大人になった今でも変わらない。




幼稚園児で母親から日常的に無視されてたらさ、そりゃ辛いよね。

よく生きてきたなー自分。(о´∀`о)





父親は、自分より学歴の低い人間や自分の価値観にそぐわない人をしょっちゅう見下していた。

4~5歳の時の私が家の中で自作した唄をうたっていたら、それをこっそりテープに録音し、ある日みんなの前で流して笑った。止めてといっても聞いてもらえず、何度も何度も流しては、笑っていた。


おかげで私は人前で歌うことができなくなり、カラオケも当然無理。唄うこと自体は好きなんだけど……残念。






親が子供をからかったらダメだよ。



あと、

つたない子供の話でも、一人の人間としてちゃんと話は聞いてあげよう。

子供は自分より小さくっても、存在としては立派に一人の人間です。忙しくて聞けない時は、その旨を伝えるべし。





子供を潰して、ゾンビ人間にしといてエネルギー吸って長生きしてるのが団塊世代かな、、なんてことをたまに思う。



こんなことを言ったら、団塊世代に怒られちゃうのかな…………


でも
親が子供を潰してるケースってたくさんあると思う。今の学校も、大半は子供を利用した商売、ってカンジするし…………何だかなぁ…って思うことって沢山ある。

そして、その疑問をぶつけても聞いてもらえることはあまりないし、聞いてもらえたとしても改善されることは更にない。


踏みにじる人の強さよ。


踏みにじられる側は弱いのか??弱いから踏みにじられるというのか??


私にはよく分からない。





世の中には絶望が溢れている。



それを思うと、


私の親世代って何なんだろ……って思う。




そりゃあ、団塊世代でも立派な人はたくさんいると思う。


でも、

自分の親を見る限り、


世間の言う通りに苦労して幸せ家族の条件を揃えてくれたけど……………私自身は心から幸せ!生まれてきて良かった!!って思ったことはあんまりない。

空虚な幸せを味わってきたというか………

そもそも私の親は夫婦仲が悪かったんだよな。。
(´-ω-`)

無理して夫婦生活して世間に合わせて生きてる人達の間にいたんだから、そりゃ幸せを感じる訳ないか……(笑)


まぁそんな人達の子供に自ら選んでなったんだろうが……どんだけドMよ私。。







いろいろ過去を分析すると、

死にたい、ってよく思ってたのも納得。




つーか、よく生きてきたよ。。(о´∀`о)

よく生きた。。







団塊世代が死んだら、また時代が変わると思うけど、

かといって早く死ねとも思えないし。
一応、自分の親もいるし。






今はね、もう「どうでもいい。」





私の過去や苦しみなんて、どうでもいい。





私より下の世代でもたくさんの人が死にたいって思ってるのが哀しい。

自分と同じような辛さはもう味わせたくない。。負の連鎖は絶ち切らないと。。

でないと、私が幼少期から味わった哀しみが浮かばれない。同じ苦しみを味わう必要はない。







私も今もたくさん死にたいって思うけど、



死にたいは『生きたい』の裏返しなんだ!と気付いてからは、

死にたいと思うかわりに『生きたい』と念じるようになった。




コレ、

“死にたい”に逃げてた人が、『生きたい』にシフトするのって意外と大変なんです。



でも、

死にたい死にたい思ってると、引き寄せの法則でより死にたいと思う現象を引き寄せてしまう、というので、


無理矢理にでも『生きる、生きる、幸せ、幸せ、』と念じるよう意識しています。


もういつ死んでもいいって思ってるのに『生きたい』って念じるのも至難の技なんですが…………どうせ思い通りのタイミングで死ねる訳じゃないし、生きてる間は生きてて良かった!!っていう幸せな状況でいたほうがいいし⤴。




幼少期に幸せを踏みにじられて不幸グセがついてしまってたりすると、「自分は幸せでいていいんだ!」って意識するのも難しいのですが………


私も、頑張って、自分のことを「幸せだよ…!!」と思うように……しています。

そうしたほうが、より幸せが舞い込むというので。。

不幸に目を向けるより、小さなことでも幸せなことに目を向けて、幸せのパーツで埋め尽くしたほうが良さそうですもの。。

あんまり幸せだ何だいうと宗教臭いけど……



思うのはタダだし、自分の勝手だし、
自分の自由♪








親の呪縛、呪いのような過去、記憶からさっさとオサラバしたいと思います。(まだまだ難しい点もあるけど)



とりあえず
私の中のキーワードは『死ねるように生きる。』






今、抱えている問題を解決するべく、動き出していますが、

解決するにしても更なる問題が山積み。。
(´-ω-`)



本当に、嫌になります。


でも、このままにして嫌な想いを抱えたまま生きるのも辛すぎるので、私は行動する決心をしました。

この問題を解決せずには死ねない。そんな境地。



他人からすれば全然命掛けるような問題じゃないんだろうけど…………。私はやります。



すごく怖いし、不安もあるし、お金もかかるし、島の人からは陰で笑われる可能性もある。それでも。私にとっては大事な問題だし、やらずにはいられないのでやります。



死んだ時に大事なのは、天に恥じないことをしたか、自分の殻を破る経験をしたか。
だとか。(※諸説あります)


私は無宗教だけど、これは本当だと思う。



たとえ、結果的に島の人たちの笑い者になったって、

私は勇気を出して頑張って行動したんだ!という経験は残るし、

私を笑った人は、自分は何もしてないのに頑張った人を笑った、という負債を作ったことになる。



その差はデカいよ。





私は、殻を破ろうと頑張った人を尊敬する。

自分の殻を破る恐怖に負けず、行動した人を尊敬するし、大好きになる。

笑える訳ないよ。





自分の殻を破る恐怖が、一番怖いんだ。





私は、怖くても行動できる人が大好きだ。






願わくば、そおいう人が増えて、


クソみたいな過去を蹴散らして欲しい。





呪いや呪縛などに負けないで欲しい。

負けたとしても、最後には勝って欲しい。







なぜなら 苦しみを知ってる人は優しいから。



私は、優しい人にこそ勝って欲しい。有終の美を飾ってほしい。踏みつけられてきた者の強さを見せつけて欲しい。








小さな島にいると、同調圧力がたくさんある。

小さな島だから、合わせなくてはならない点があるのも分かる。でも、その同調圧力によって苦しむだけになるなら、そんな同調圧力はクソでしかない。

クソは集めて堆肥にすればいいのだ。その辺に放置せず、とっとと集めて片付けてやろうじゃないか。




私は島にいると自分がナイチャーだと差別されることに憂いていた。

もう、そう思うのは止めようと思う。


シマンチュとかナイチャーとか、出身地で差別するのは止める。

自分で自分を卑下するのは止める。

自分は劣っていると自分で思うと本来あるべき力も発揮されなくなるというので、自分は劣っていると思うことも止める。

自分なら「できる」という根拠なき自信が大事なのだそうだ。








とはいっても、


島の中でナイチャーは少ないから、数では負ける。私もすぐ負けると思う。

でも精神では負けない。

願いの強さでは負けない。


勝つ負けるの問題ではないが、踏みにじられることなき強さを持つ。






結果を出すために頑張るので、きちんと結果が出せないと意味ないじゃないかと不安もあるが、不安は敢えて無視。







『死ねるように生きる。』









死ねたら死ねたらでバンザイなのだ。



絶望を味わった者の、

誇り高く美しく散るための底知れぬパワーを出したい。


絶望の底にある泥をぶちまけるまでは死ねない。









窮鼠猫を噛む。



七転び八起き。



因果応報。



大どんでん返し。



正義は勝つ。



やればできる。




やれば何とかなる。





やろうとしてできないことはない。







本気は必ず伝わる。








夢は、必ず叶う。