離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

2月18日 「心でうたう」ということ

雨。









相変わらず家は雨漏りするし、


今日は洗濯機で洗濯中にホースが外れてしまって床が水浸しになった。
(о´∀`о)




水も滴る良い女~ならず、

水も滴るボロい家~♪




である。(о´∀`о)

















十六日祭で肉やら天ぷらを爆食いしたからか、

やたらと便が出る。オナラが下水道のような臭い。

腸が汚れまくっているのを実感する。ドブ並??(´-ω-`)……………







また、

小麦製品(お供えのお菓子)も沢山食べたため、腸壁にグルテンが付着して栄養の吸収が阻害されているのか、胃袋はいっぱいなのに幾らでも食える。(満腹中枢が狂った?)
しかも、更に小麦製品を食べたくなる。
久々にラーメンも連日食べている。



既にグルテンで腸は炎症を起こしているだろうし・・・
(´-ω-`)



一旦 負のループに陥ると更なる負が欲しくなるのは何なのだろうか………この世が地獄たる所以か。






腸さんごめんなさい。








今朝も既にコーヒーに菓子パンを食べてしまいました。ごめんなさい。





しかしジャンクフードは娯楽なのです。






















シンガーソングライター優里への熱は幾らか落ち着き、

ちょっと前までのブログが恥ずかしい。。(о´∀`о)






先日の休みの日には

たくさんの過去動画も見た。






見始めた最初の頃はちょっと意地悪そうで上から目線な印象を受けたけど、 

よくよく色んな動画を見てみたら別にそんなことはないんだと思った。



どちらかといえば感情表現をあまり出せないタイプの人で、

本当は心の中ではむちゃくちゃ嬉しかったり有り難うぅぅぅ!!!って思ってるのに、表ではそっけない態度でしか出せないタイプなのかな?と感じた。


でないと周りのスタッフさん達の温かさや愛情が溢れてるカンジとか、説明つかない。

表面的にはそっけなかったり、辛口なとこもあるけど、
あれだけ友達やスタッフに恵まれてるということは、それに比例した人柄なんだと思います。



とにかく、一緒に動画撮影してる方たちが温かいし、優里へのリスペクトや愛情が伝わってくる。

優里が引き立つように、常に一歩引いててフォローも欠かさない。これって、誰にでもできる訳じゃありません。



それは、

やっぱりシンガーソングライター“優里”への敬意があってこそだし、


友達としても一緒にいて楽しいし、

『仲間』としても一緒にやりたいことがあるからだと思いました。









『仲間』として一緒に何かをやっていく、

って

女にはなかなか無いので、見ていて「あぁ…いいなぁ。。♪♪」って思います。



ないものねだりで憧れるといいますか。。




男同士でわちゃわちゃしてるのって良いですよね。








「どうやったら歌が上手くなりますか?」の質問に対して、

「心でうたう。」



って答えていたのもすごく良かった。






心でうたうのなら、誰にでもできる可能性があります。







私は、島に来た頃、

島の唄者と話をしたら、話の流れは忘れましたけど、「余所者が人の島の唄をうたうな」みたいなことを言われたことがあったんですね。


島の出身者でなきゃ島の唄をうたえないのであれば、

それはやがて滅びる唄となるだろうし、とても哀しいことです。
島の人みんなが民謡に関心がある訳じゃないし。


出身地は努力で変えられるものではない。


余所から来た者だからこそ、島の唄の素晴らしさや凄さを理解できる部分もあるのにね。。



切り捨てるようなやり方で人の可能性を潰すようなやり方は好きではありません。





だから、今でも私は島の人の前で民謡をうたう気にはなれない。(元々、幼少期のトラウマにより人前でうたうことはできませんが……
人前でうたえたとしても、歌う気にはならない。) 





優里さんの言ってくれた「心でうたう」は、

良かったなぁ。。




心でうたえば良いのなら、

下手だろーと
どこの出身だろーと
どこの国の人だろーと

関係ないもの。





どんなに上手く歌えても、

伝わってくるものがあるのと無いのとの差は、やっぱりそこに『心が込もっているかどうか』。??


言葉にすると陳腐だけど、

結局

そおいうものじゃないかと思います。














しかしネット上にはマジで沢山の歌が上手い人がいますね。。



俗にいう素人さんでもプロより上手い人がごまんといるさー。



すごいなぁ。。










私も、元々は唄をうたうのは好きなんです。



子供の頃は、ヒマになるとしょちゅう適当に歌詞とメロディーを創作してうたっていました。

今も、一人で散歩してたりすると、適当に想ったことを乗せてうたったりします。




別に名曲が生まれたことはないけど、


唄のはじまりって、そおいうことなんじゃないかと思います。








いま、親で、子供がいる方は、
絶対に子供をからかったり笑ったりしないでやって欲しいです。

小さな子供が自分からやり始めたことを、
笑ったり、ましてやからかったりなんて、絶対にやっちゃいかんです。

子供は、親より親に対して気を使うので、
へらへら笑って応えてたとしても、内心酷く傷付いている場合があります。

子供は親が無条件で大好きだから、その傷付いた心を、親への怒りにはせず、自分を傷付ける方向で解消しようとします。


だから私も幼少期から自殺願望があったのかもな。。(´-ω-`)


幼稚園児でしにたいと思うなんて異常でしょ。



私の親は、しょちゅう周りと比べては違うと否定的なことを言ってきたり、いつまでも昔のことでからかってきたり、嫉妬してきたり、
TVを見ながら悪口を言ってたりする人でした。
とりあえず、私の中ではそんな印象。



そうやって子供を潰して子供の人生を奪えば、そのぶん自分らは優位に人生を味わえるのかもしれませんが、


やっぱり

それってどうなの??って思います。



今はもう別に親に対して何とも思わないけど、


旅先で出逢った素晴らしい素敵な人たちは
絶対にそんなことはしないという安心感がありました。

自分が尊敬できると感じた人は一言でいって格好良いし、傍にいて心が震える。未来にやりたいことが出てくる。それが希望やワクワクになる。

つまりは、高波動出てた人だったんかな。。(о´∀`о)









自分はどっちの人間になりたいか??って言ったら、

やっぱり

人の人生を奪うよりかは

人の心を震わせられるような、格好良い人になりたいです。




なれるかなれないか、ではなく

《なろうとするかしないか。》





YouTuberヒカルが尊敬する島田紳助さんも、『なりたいものになれるのは、なろうとした者だけ』といっていたそうですね。
確かに、です。





この、

見てる方向の違いはデカイさぁ。。














今、



サトウキビ産業もなかなかのピンチなんですが



私はやっぱりこの先も、作り続けたい。





甘いものは身体に悪いかもしれないけど、


甘いものがひとつも無くなって健康になれても、つまらない。




つまらなかったら、健康である意味も、生きてる意味も、無いじゃないか、って思ってしまう。




収穫時期の間、生活を共にする製糖工場の季節工のひとたちの寮、キビ刈り援農隊、それらを支えてくれる人達、、

それらひっくるめて大好きだし




また大好きな人たちと会いたい。

また、あの製糖期にしか味わえないひとときを過ごしたい。

我儘かもしれないけど、続けさせて欲しいです。









(о´∀`о)
何を書いても結局は島のことに着地してしまいますね。すみません。












私はね、

誰もいないところでは島の唄をうたいます。




だって島が大好きだもん。




余所者だけどさ、島の五穀豊穣・弥勒世果報を願っているもの。









島を愛し、島を理解しようとする者なら誰だってうたっていい。心を込めてうたうならそれでいい。



五穀豊穣・弥勒世果報はどの土地、どの人にとっても永遠の願いだもの。






想いや願いは唄になり未来を描く祈りになる。