ナウシカの漫画を断捨離しようと思って、その前に改めて読み込んでいる。
現代に於ける、核戦争のその後を描いたような世界観。
そして遺伝子操作。
『新たな、美しい世界づくり』のために犠牲にされる命たち。
改めて読んでも、重苦しい、戦争の、お話が続く漫画です。
現実世界でも、放射能汚染はけっこうなものだと思うのですが。
実は、放射能って植物の生育を早める働きもあるそうです。濃度とかにもよると思いますが。
広島、長崎、原爆で汚染されたはずなのに、数十年で復興し、草木もピンピン生えてるし、人もたくさん住んでいます。ここを突っ込む人はあまりいない。
多分、決して、放射能イコール100%悪!!!でもないんですよね。
(ただし、だからといって積極的に浴びて良いものではないし、汚染は無い方が良い。)
玉川温泉とかラドン温泉とかも、自然放射能が人体に有効な働きをするので有名です。
何もかもが清浄であっただろう縄文時代よりも、汚染されまくり〜汚染物質食べまくり〜な現代人の方が、何故か長生きしています。
どうやら、私たちも、ある程度の汚染があったほうが良いのかもしれません。分かりませんが。
ナウシカの世界では、汚染がある程度無いとヒトは生きていけない設定になっています。
皮肉にも、腐海が世界を浄化し終えた暁には、人間は生きられない。綺麗すぎて。
浄化し終えた世界でなら、もうマスクも無くて大丈夫だし、腐海の毒に怯える必要もないのに、綺麗になった世界では生きられない。
現代でも、浄水技術が進歩し過ぎて昔に比べて海産物が育たなくなったとか言いますよね。
人間の出す糞尿の有効成分までもが浄化され、海に流れていかなくなったから、だそうですが。
浄化すること自体は良いことのはずだけど、浄化し過ぎてしまうと他の生物が育ち難くなるという。
世界の不思議。
多分、人間基準での『綺麗』と、自然界にとっての『綺麗』が違うんですよね。いや、自然はそもそも綺麗とかの概念なんて持たないか。
人間のやることって、だいたい良かれと思っても皮肉な結果になる。
ナウシカの世界がリアルを増してきたように、我々は今、既に遺伝子ワク◯ンを人類の8割が打ち、打たない者もシェディングで同様の影響を受け、多分、我々全員、遺伝子操作、改変されていると思います。
それが、良いことなのか、悪いことなのかは、結果と解釈次第だと思うので、私には判断できません。とりあえず良い気はしないけどね。
どうも現代に於いても、人間ごと、植物も、そして動物も、遺伝子操作することが進んでいる。
でもまぁ、そもそも今の我々人類自体が、宇宙人に遺伝子操作されて作られた説ありますから、元より人工的に生まれてきた命なのかもしれません。動物たちも。
人間が猿から進化した?というには途中経過の化石が一切発見されていないのに、それを盲目的に信じるのも、どうなん?ということです。
きっと、多くの方は化石も見つからないくらい大昔のことなんだろう、ってことで勝手に納得してると思うんですが。そんな短絡的な想像が『本当』であることってあるんですかね。
まぁ、ホイホイとTV様に従ってワク◯ンを打った人にとっては、そんな短絡的な想像が魔法のように本当だと信じるに値するのでしょう。別にそれでも良い。
結局真実は分からないし、「何を信じるか。」自分が、心から信じられればきっとそれがその人にとっての真実になるのでしょう。
私は疑り深いし、人間不信だから信じられないけど、
簡単にホイホイ信じられてそれで安心できる人って、ある意味幸せだと思います。
漫画版ナウシカでも、作者の答えがコレ!という風には出ていないので、
何度読み返しても、あまりすっきりはしません。
宮崎監督でも答えが出なかった壮大なテーマ。
ナウシカは最終的にシュワの墓所に眠っていた古代のものすごい叡智を、ぶっ壊します。ある意味、自分のエゴ全開で最高です。
でも、それってある意味 未来に生きるであろう人をぶっ壊すことでもあり、、うーん、、それはそれで大量殺戮なんじゃね?とか、複雑な思いにもなります。ここ、もっと悩んでも良かったんじゃないかとも思うんですが。まぁ私が同じ立場でもぶっ壊すかな。。
シュワの墓所に眠っていた技術は、人を生かすものだけでなく、人を滅ぼす、鬼畜な技術も眠っていました。しかもそれが漏れてたしー。オイ、管理状態どうなってんねん、って感じですが。
とにかく、古代の叡智と言いつつ、素晴らしいものばかりがそこにある訳ではなかったんですね。その理由は多分、「世界は陰と陽で成り立ってるから」だとは思うんですが。
シュワの墓所に行く前にナウシカが会った、外からは見えない隠された都市に住まう旧世界の人間が造った不死の番犬•ヒドラの人は、「なぜ墓所には伝えるに値しない技が遺され死の影を吐き続けているのですか?」と言うナウシカの問いに、《沈黙》で答えました。
いやコレ。
旧世界の人さぁ、我こそ正義!みたいに振る舞ってるけど、性格悪くね?って思いますよね。
凄ーい技術があったとしても、悪用されるものなら別にわざわざ残さなくても良いんじゃね?って思いますよね。
現代でいえば、核の技術とかになるんでしょうか?
そりゃあ、物凄いエネルギーを生む技術ではありますけど、阿呆な人間の手で操れるものじゃないでしょ。
旧世界の人間も結局は阿呆だから、
自分以外の人類なら上手く操れる方法を生み出してくれるかも〜とか思ったんでしょうかね(笑)
他人をアテにしてみよう的な。うん。なんかね、世の中ってそんなもんだと思います。
多くの人は自分を過信しちゃうんだよね。どのくらいの人が過信するかって、ワク◯ン打った数の分だけ、だよ。きっと。
根拠のない短絡的な想像を、まぁきっとその通りになるはず、大丈夫っしょ!って盲信しちゃうんだよね。
原発に関しても、処理方法が見つかってないのにスゲー最新技術見つけちゃったもんだからやりたくてしょうがなくって、まぁきっとあと数十年もすりゃあ上手い処理方法見つかるっしょ!ってカンジで。結果、数十年経っても処理方法なんて垂れ流すか埋めるかしかないし、今できないことを未来に期待すんなよーってカンジなんだけど。
でも未だに増設しようとしてるから、ホントは何か良い方法があるのかな?
今でもワク◯ンを魔法の薬と思ってせっせと打ってる人はいるだろうし、そおいう人ほどピンピンしてるだろうし、
結局のところは何が正しいのか、何が正義かは分からない。
古代人の眠ってるドルメン(お墓)に行ったらさ、古代の叡智が得られるらしいですけど、
多分、その叡智が自分にとって欲しかった素晴らしいものかどうかは……分からないんだろうなぁと思いました。
そのドルメンに眠ってる古代人次第というか。
古代の叡智にもいろいろあるよね〜。(о´∀`о)
古代文明にはロマンしかないと思ってたけど、案外そうでもないかもしれない。
古代人も、現代人も、宇宙人も、神様も、
結局はみんな不完全で、いろんなタイプのひとがいる。
能力のある神様もいれば、とんでもなく阿呆な神様もいる。
余談ですが、本当に願い事が叶う神社というのは、願いが叶うかわりに、身代わりとか生贄のように何かを代償として持っていくのだそうです。だから、むやみやたらに願うのはちょっと危険。
どおいうカラクリでそうなるのかは分からないけど、何故かこの世にはそおいうことがある。
神様=100%善人!、でもないから。
とにかく、ナウシカには、この世の真実みたいなものが結構描かれています。
暗いし、重いけど、全人類読んだほうが良い。
でも、これはあくまでフィクションです。
私がそうでしたが、
あんまり現代に置き換えて読んでいると、引き寄せの法則でこのナウシカの世界観が本当になってしまう。
集合意識がナウシカの世界観に引っ張られてはいけない。
大事なのは、
汚染してしまったとしても、気付いたらそこで止めること。
たとえ、誰かに操られている生命(人生)だったとしても、嘆いて受け入れず、自分の人生を歩むこと。
ナウシカのセリフで好きなのは、7巻後半の
『私達の身体が人工で作り変えられていても 私達の生命は私達のものだ
生命は生命の力で生きている』
です。
他にも、この7巻クライマックスの部分には良いセリフが沢山あるのですが。
ナウシカはあらかじめ決められた未来よりも、自分たちが生き抜いた先にある、『まだ分からない未来』に自分たちの未来を託すんですね。それでもし滅びたとしても、それすらも受け入れると。
うん。
私も、そのタイプかもしれません。
現代に於いても、メタバース、ムーンショット計画、5G、6G、7G•8Gも出てくるんでしょうか。人間を操作する方法が次々に立ち上がっています。
今の私達でさえも、自分の自由意志と思ったものは全て実は操作されたものだと言う解釈もあります。
科学技術は人類が滅びるまで続いて、滅びたらまた、一からやり直しているのでしょう。
繰り返し、繰り返し、
滅亡と再生と維持を繰り返す世界。
そうでないと、
全てが調和して安定してしまうと、世界は止まってしまうから。世界が止まったら、何も生まれない。何も進化していかない。時が進まない。
時間を永遠に進めるためには、矛盾が必要なのです。ねじれが必要なのだ。
ねじれているから、調和したと思ってもまた破壊が生じるし、破壊があるから再生する。
お肌も、定期的に細胞が古くなって死ぬことで新しい細胞が生まれ変わって肌が維持されます。
個にして全、
全にして個、
我々の魂も個のようで死んだらワンネスの世界に取り込まれる?とかいうのと一致してますねー。。
やっぱり、多分、滅びは必然なんだな。。
そこを否定してはならない。
人間は死を認識できるから死ぬことを恐れてしまうけど、親しい人が死んだらとっても悲しいけど、
死を否定して、逃げてはならない。
誰もがいつかは死ぬのだから、今を大事に、楽しく、生きましょ♪という、
最近よく言われている「ワクワクすることして生きよう〜」に繋がってきます。
究極、それしか無いんだべさ。
んでね。
なぜ今回もうナウシカを断捨離しようかと思ったかといえば、
ナウシカの先にある、希望の未来を生きたいと思ったからなのです。
ナウシカの物語では、結局、一つの区切りはついたけど、腐海はどんどん広がってくるだろうし、相変わらず人々は貧しいながらもなんとか生きていくのでしょう。
なんか、別にあまり救われてはないんですよね。
結局は子供もどんどん生まれなくなっていくのだろうし。
腐海が尽きたら自分たちが滅びることも知ってしまった。
知ったところで、どうにもできないし。
ナウシカは、それを隠しながら、偽りの希望を伝え、生きていくのでしょう。
生きることの何が良いんだとか、聞かれたら私は答えられないですが。生きてくしかないから。
私は、もう、
この先の、
どんでん返しを起こせるような、希望の物語を作り出していきたい。
今。見事に現実世界も汚染されまくりだよね。それでも一応生きてるけど。
この先の生きる道がバーチャル世界というのは、ちょっと陳腐ではないかと思う。
その他の道も、限りなく無限にあるし、
バーチャル世界で生きるのはちょっとなーと言うのであれば、他の道を提示する必要がある。
その、他の道を、描いていきたい。
《自分はどんな世界に生きたい???》
誰かが与えてくる未来を愚痴りながら従うのではなく、
自分が、望む、幸せな未来構造を、描いていくべし。
人間の想像出来ることは実現可能。
文句を言うんじゃなく、想像せよ。
文句言って受け入れるな。
そんな未来を受け入れるな。
自分で望む未来を創り出せ。
大事なのは想像力。
どうせ人類みんな阿呆なんだから。
おもいっきり阿呆になって理想郷を想い描け。