曇り、やや晴れ。
東風があり、過ごし易かった。
夕方になったら肌寒いくらい。
今日もキビ刈り頑張った。
早目に終わったから、余った時間で草刈りした。
腕の疲労感がヤバイ。
どうも私は自分の「やりたい!」要求の難易度が高いらしく、自分のやりたいことをやるとヘロヘロになる。やりたいことに、自分の体力や能力が追いついていない……
(´-ω-`)
いやもうちょっと自分のレベル見て合わせろよ、ってカンジなんだけど。。
どうも、自分を過大評価してるのかどMなだけなのか、無理しがち。
(※心理学的にも、人間は自分のことを過大評価しがちなのだそう。。典型的パターンの私……)
もうちっと、楽に幸せに生きたらいいのに、ってカンジ。。
私は幸せに生きることを怖がっているのだろうか………いつも油断すると死にたいって思うから、こんな絶望的な世の中になったのかなぁ??………とか思った。
引き寄せの法則で、死にたい思ってる人には死にたくなるような未来がやってくる。。
死にたいと思うのはそおいう意味ではちょっとヤバイ思想かもしれない。。
辛い時は「幸せに生きたい」、幸せ探しをしたほうがいいのかもな。。
何を願うか、
何をイメージするか、って意外と難しい。
浄化に良いというので《鼻洗浄》をした。
ぬるま湯に塩を入れ生理食塩水をつくって鼻から吸い、口から出す。
鼻の中の汚れが出てスッキリ良いカンジになるという。
(о´∀`о)
私は常に鼻炎がちなのでこれはいいぞ!と思い、入浴時にやってみたが、
これがなかなかのカオス。
生理食塩水だからか、鼻で吸ってもプールで水を吸ってしまった時みたいに「ツン」となることはなかったが、
上手く吸い込めた時に鼻の中を通った水が口から出てくるのが何ともいえない。。(´-ω-`)
まだ慣れてないため、なんつーか、ヨダレ垂れ流し状態?
とてもじゃないが全身濡れてもいい入浴時じゃないとできない。
あと、
喉から何かが出てくるって、吐いた時くらいなので
船酔いを思い出しておぇぇってむせかえる時もあった。
お鼻の中が綺麗になるのは喜ばしいが、
船酔いリバイバルしてるみたいでカオス。
でもこれで鼻の中が綺麗になって色々浄化されるのかと思えばやる価値はある。
目も、同じように生理食塩水で洗うと良いということで
洗面器に生理食塩水を作って顔をうずめ、水の中で目をパチパチしたりして洗った。
目がスッキリして視力が良くなった気がする。
精神的な浄化も大事と思うが、
肉体的な物理的浄化にも努めたほうがいいなと思った。
断舎離が良いのも、物を捨て、片付けることによって家の中が浄化されるからだ。
浄化は大事。
くそー社会も早いとこ浄化されろー!!と思うところだが、
そう思うならまずは自分がやりやがれ、なのだろう。世の中の仕組み、宇宙の仕組みって単純なようで実は難しい。
全てはねじれているとしか思えない・・・
一体全体宇宙は何をしたいのだ??と思う。
社会問題に目を向ければ到底解決できないクソみたいなことばかり出てくるし、
自分に目を向け幸せを追求すれば脳内お花畑と化す。
一体全体どーなってんの??
何がしたいの宇宙意思、
ってカンジ。
カオスは進化を産み出すため、
ともいうが、
進化して何を求める??ってカンジだし……
進化とは新たな視点を生み出すことらしいが…………
それで、だから??ってカンジだし…………
人間が成長、進化して、そして、どーなったらゴールなの??
別に、ゴールはないの??
ゴール(目指す目標)がないんなら、わざわざ進化を目指さなくてもいいんじゃね??とか。。
(о´∀`о)
カオス産み出してさ、一体何をしたいのよ、って思うさ。
寝て起きて飯食って、娯楽を味わったり家族や友人と笑い合えたり、それができるんならそれで充分じゃん。
進化進化って、
進化ばかりが良いとは思わないんだけど。。
そう思う人は、アマゾンの奥地に住む原住民族みたいに、昔ながらの暮らしを選択するだけなのかもしれない。
そおいう選択肢を許してくれたらいいんだけど。
なかなか、選択肢を与えず同調圧力に巻き込もうとするよね・・・だから困るさぁ。。
望まない人、関係ない人は巻き込むなよ!
ってカンジ。
どーやったらマイペースに自分の望む暮らしを守るか。維持するか。模索中。沖縄の離島でも難しいよ。でも、同じ思想同士で村を作るのも、宗教臭くなるんだろうなぁ。。それも微妙なところ。。
大事なのは『選択肢』があるということ。
それぞれの意見が『尊重』されるということ。
『自由』に生きられる『自然がある』ということかなぁ。。
この世の仕組みはまだよく分からない。
でも、
とにかく自分がやってほしいように自分がやり、
自分が望むような社会を自分の周囲に作っていくしかないのだろう。
死なないように生きると人生が死ぬ。
死ねるように生きると人生が活きる。
コレではないかと思う。
どうせ、運命的寿命が来れば死ぬ。
運命的寿命が来るまではまず絶対に死にたくても死ねないのだから、思いきり生き、やりたいことをやったほうが人生が拓けるはずだ。
マジでやべぇと思った時に「絶対に生きてやるんだ」といったパワーが出るのは死が隣にいるからだ。
死が隣にいる時、生への道が強引にでも拓けてくる。それが、新たな一手を刻む。
死が不幸とか忌むべきものとか罠だ。
(そりゃあ、好きな人が死んでしまうのは滅茶苦茶悲しいよ。勿論。)
でも、死と離れるほど、生が離れる 人生が死んでいく。
この世は根本的にねじれている。
根本的に我々の価値観を疑わないとならない。
隠されてきたいわゆる非常識とされる価値観に打開のヒントはあるように思う。
誰一人取り残さない。
レインボーアンサーを探している。
とりあえず今の私のテーマは『死ねるように生きる。』なのだ。