離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

5月5日 ひっくり返ることを願っている






曇り。








風が止み、湿度が一気に上がって空気が重たい。




湿気は身体に悪い。



















先日、毒チンの島民一斉接種の案内状?が来たが、中身も見ずに棄てた。



数日後、周囲から届いてることを聞いた家族が私の分は?と聞いてきた。







テレビ脳の人をどうやったら本質的に物事を考えられるようにできるか、目下、模索中である。    


先に死ぬほうはいいかもしれないけど、

残された者は大変なのよ。

それでなくても島は常に人手不足なのに。





テレビ教信者は自分が常識、自分が正しい、世間が正しい、だから怖いよ。。


正義の押し付けは暴力。




私だって自分が正しいとは思ってない。

毒チンでも打ちたいなら、打てばいい。

でも。

リスク面も考慮すると、やっぱり心配。

どーにもリスク面のほうが多いと思うからさ、慎重になるんだよ。

貴方のことを想うから、慎重になるんだよ。







でも

新聞には医者の書いた「ワ○チンに副反応があるのは当たり前なんですー でもそんなに大した副反応は滅多に起きないから大丈夫大丈夫!!ワ○チンは安心して打ちましょー!!」みたいな記事が堂々と載っていた。
(´-ω-`)




真剣に、もう八重山毎○新聞はとるの辞めようかと思った。







いろんな意見はあっていいと思う。


でも、私だったらワ○チンの副反応で苦しんでる人を知ってるから、そんな記事は頼まれても書けない。




苦しんでる人のことを想ったら、書けないよ?








哀しくなった。
















でももう最近は絶望を味わい過ぎて、何とも思わなくなってきた。






このワ○チンヒステリーと戦時中のマラリア被害は、同じ現象だと思う。





戦時中、西表島に強制疎開された人々は、マラリアにかかり大量に死んだ。


悪いのは、強制疎開させた奴だとされているけど、

勿論、強制疎開させた奴も悪いけど、



その当時、

抵抗しきれなかった島民の弱さも原因だ。



危険と知りながら従った弱さも悪い。





死んでからじゃ遅いんだよ…………








今、大人しくワ○チンに従う人に対して、お前ら八重山出身のくせにマラリア被害を知らないのかと言いたい。

終わった過去としてただ慰霊碑建てればいいってモンじゃないんだよ…………



二度と繰り返さないことが大事なんだ。



どうしてあのような結果を招いたのか、
検証して向き合って本質を捉えて未来に生かさないと意味ないでしょ………じゃなきゃ、犠牲になった人たちが浮かばれないよ。。





でも私一人ではできることにも限界があるから、もう、当時マラリアで死んだ霊たちに
あの悲劇を繰り返さないよう夢枕に立ったりして島民に教えて!と願っている始末。。


いや私に霊感はないですよ。祈ったところでどーなる、とも思う。



でも、

私はマラリア被害の再来は味わいたくない。



死にたきゃ死ねばいいとは思うけど、


残された者たちの苦労を想うと、それでいいとは言えない。。






この悪事が全てひっくり返ればと思う。




テレビ脳の人らが目覚めたら、一気に流れは変わる。



まぁ………あまり、、目覚めるとは思えないが……(о´∀`о)


奴等は長いものに巻かれて生きてるから、世論が変わればコロッ!と態度を変えるだろう。




マジでもうテレビをまともに信じてる奴は時代遅れだね。地球は平べったいと信じて怖がってた人と同レベル。あ~恥ずかしい。





悪事よ、ひっくり返れ。



支配体制よ、ひっくり返れ。


もうダサいんだよ。



醜い腐った顔なんか見たくないよ。








私は、菩薩や仏のように優しい顔した人を知っている。



彼らに触れた人たちは皆、優しくなっていく。

私は、彼らが笑顔でいられるような世界を望む。



子供たちが、思いきり走り回れて笑い転げて安心して眠れる世界を望む。






苦しみをやり返すのに使うんじゃない。


苦しんだ分だけ優しさに、哀しんだ分だけ祭りに、昇華していくんだ。



祭りは奉り。祀り。



祭りは願いなんだ。

そして、和を醸(かも)すために。







腹黒い悪事よ、ひっくり返れ。




私はお前たちの幸せも願う。だからもう悪事に身を染めるな。幸せになれ。悪事を働いて気を引かなくてもいいんだ。









もー早くひっくり返ればいいと思う。














幸せな世を想像し、それに向かって行動。







死なないように生きて自分を殺すのではなく


どのみちいつか死ぬのは当たり前なのだから

死ねるように生きて突破してい(生)きたい。




別に死ねと言ってる訳ではない。



ただ、

もう死んでもいい!と思って何かをやる時、
自分でも想像もしなかったパワーが出て道が拓けてくるのだ。

それは確かなのだ。