晴れ。時々にわか雨。
先日、ふと思い立って高那崎に塩を採りに行ってから雨が降るようになった。
塩を採るついでにゴミ拾いもした功績か、たまたまか。
とりあえず、雑草もしおれていた位の旱魃だったので、少しでも雨が降るのは大変助かる。
雨さんありがとうございます。
今日は、再びヤフオク出品作業を頑張った。
今日出したのはドラマ「Dr.コトー診療所」写真集。
実に、なんともう20年前に発行されたものだった。
もう、20年も経つんだなぁ。。。(о´∀`о)
初めて行った沖縄。与那国島。
そこでたまたまロケがあったDr.コトー。
しかも、改めて写真集を見ていたら、このドラマの脚本を書いた人が富良野塾出身の人だった。
富良野塾とは、「北の国から」の脚本家•倉本聰が創設した、脚本家や俳優の養成施設。当然、富良野にある。
私が沖縄に行くきっかけをもらったのも、富良野のキャンプ場にいたから。
なんか、、結局、ものすごく繋がってるんだな。。。(о´∀`о)
否、繋がっていた。
確かに、
富良野の厳しさと、離島の厳しさは似ているのかも。
写真集に載っている景色は、自分が訪れた当時の与那国島の景色でもあり。
見ていてとても懐かしくなった。
この写真は、フェリーが発着する久部良港をバックに撮っている。
この後ろに写っている浜辺で、島に着いて早々ビールを渡され、なんだかよく分からないけど当時まだあまり飲めなかったビールを口にして、たくさんの初めましての方と会った。
キビ刈りが終わった後の時間帯で、泳ぎ出す人もいた。
海とは無縁の土地で育った私には異次元の空間だったよね。
今は、この港を見下ろす土地(写真、右辺り?)に自衛隊基地が建ち、多分、景色も変わったはず。
そう思うと、この写真集に残る景色はとても貴重なのだと思う。
ドラマとリアルの景色が見事にマッチした写真。
泉谷しげるサン。
本当に凄い俳優さんなんだと改めて思う。
ドラマから飛び出してリアルに存在してる、ドラマそのもののキャラクター。存在感。
テキサスゲートの溝が掘ってある道路。
牛がこれ以上進まないように、っていう仕掛けなんだけど、牛も学習をして、今では普通に渡れるという、意味のないテキサスゲート。
この道を進んで比川(Dr.コトーの診療所ロケ地がある集落)によく行っていた。
海が苦手な私には、ただただ辺境の地を思わせる景色だった。
絶海の孤島なんだと痛感した。
この写真集にも、与那国島は海が綺麗なのにどこか重苦しい空気を放っていた、と書かれていました。
そう。与那国島は、どこか、というか明らかに、重苦しい空気を放っているのです。(当時の個人的感想。)
それは、黒潮が通る絶海の孤島だからかもしれないし、悲しい歴史が今なお残る島だからかもしれないし、なんだか寂しいところでした。貧しいというか。
でも、たくさんのグレーゾーンが残ってて、面白かったのも確か。
自由とは、グレーゾーンです。
誰もいじくらない土地があるから、自然が豊富で、ヤシガニもいっぱい獲れたし。
垢抜けない店ばかりだったのも、人間味があってよかった。
島唯一の信号は壊れてたし。
むちゃくちゃな事がそこかしこにあって、そんな中でもそれを受容してなんとかやってる人たちがいて。
タフで、面白い、強烈な人たち。とにかくタフ。
そんな中で優しい人たちはもう神様みたいだったし。
強烈な、闇と光を味わった。
帰りのお金が無いのに思いきって行った自分も褒めてやりたい。
私も無茶苦茶な状況で行ったもんだなぁ。。
それでも、とにかく行きたかったんだよね。沖縄を見なきゃ!って。
自分には合わないのも分かっていたけど。それでも自分の目で見て体感したかった。
ちょこっと沖縄を見るつもりが、今も沖縄にいて、
とても不思議な気分です。
ついこの間 島に来たばかりと思ってたのにね。
20年も経てば、当時50歳だった人は70歳…!!です。
いやびっくり。おっさんが老人になる年月やん。。
中身が何も変わってない自分にもびっくり。呆れてしまいます。
それでも時間は無常にも経っていくので。
そりゃあ時代は変わるのだと思います。
この写真集、映画の公開に合わせて売れば、もっと買い手がついたと思うのですが。
最近になってこの写真集があることを思い出して、すっかりタイミングを逃したのも自分らしい。。。
やっぱり、私はあまり商売には向いてないんだな。。自分のペースでしか手放せない。お金がモチベーションにならない。
でもきっとそれは、お金じゃないものを受け取ってきたからです。
記憶は胸の中に。
感動は魂に刻んだから大丈夫。