離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

2月10日 自分に向けて。








晴れ。











昨晩は、最近取り憑かれていた不安を払拭するのにノートに色々書いたりしていたから寝るのが遅くなった。眠い。


夢で、ひっくり返りそうな急な坂道を車で駆け上がる夢を見た。アクセル全開、一気に駆け上がれた気がする。



でも起きてリアル界。





やっぱり臆病な自分がいる。





思いつく手立ては、常識から外れた素っ頓狂なものばかり。お相手の方は嫌がらないか。迷惑にはならないか?

相手の気持ちを考える分だけ身動きが取れなくなる。


私は優しいのか?臆病なのか?


よく分からない。。




押しが弱いのは確かだろう。




でも、

押しの強い人はあまり好きじゃない。

押しが強く、自分のペースに持ち込んで話を通そうとする人は全員詐欺師に見える。本物じゃない。だから自分はそうなりたくないと思ってしまう。結果、行動が鈍る。





それでも。




それでも、どうしてもやらずにはいられないことは

勇気を振り絞り 清水の舞台から飛び降りる気持ちでやるよう努めてみる。






清水の舞台から飛び降りるという例えは古いが…(о´∀`о)

私、勇気出す度に自殺するくらいの覚悟出してるんだなぁ・・・・って思った。




そりゃあ、

一回何か勇気出してやる度にどっと疲れるし、しばらく休息が必要になる訳だ。。




誰にも分からないところで頑張ってる自分。


(´-ω-`)







そりゃあ、


訳もなく涙も出てくるわ。。





頑張ってるんだね……自分。。








誰でも、自分の頑張りは自分にしか分からないから、



外側だけで判断して批評するのは止めようと思った。






親に否定されて育った私は、自分を肯定したり自信を持ったりがとてつもなく難しい。足がないのに足で走れと言われるくらい不可能レベルで難しい。

ちょっと不幸、くらいを喜ばれていたから

幸せ!になることが恐怖になっている。

幸せになったら疎まれるのではないかという恐怖。

これは、もはや呪いだと思う。



幼少期にかけられた呪いを解くのは生半可ではない。



テレビを付けても、四六時中この呪いが流れている。

結果、呪いにかかった者同士で更に呪いをかけまくる。他人の幸せを喜べない。他人の幸せを見ると妬む。他人の不幸なら、蜜の味。




これはイカン。


これはイカンのだ。








自分の幸せも喜び、他人の幸せも喜ぶ。




こうならないと、自分は幸せになれない気がする。







まずは自分の幸せを素直に認めて喜ぶこと。








このブログで、日々の幸せだけを綴るようにしようか。

お布団で眠れるだけでも幸せだ。



不眠症であったって、とりあえず横になれる家があってお布団に入れるだけでも実はものすごい幸せなことだ。









ないものを数えるのは辞めよう。






数えてみれば、たくさんの幸せに囲まれていることに気付こう。




不幸に掴まっているのは辞めよう。




不幸は今すぐ手放そう。



幸せになる許可を出してあげよう。





















相変わらず臆病なんだけど。。












やるだけやってみよう。





それで迷惑かけたら、ごめんなさいしよう。