貧乏神も 福の神も
結局は自分なんだよ、
という記事を見ました。
よくよく考えれば当たり前のことですが
不幸に囚われていると忘れがちでハッとさせられます。
貧乏神に囚われている状態とは
被害者意識に浸って成長やチャレンジを忘れ、他人のせいばかりにしている状態なのかもしれません。
波動的にいえば波動が低い時であり
低い思考に囚われていることを霊に取り憑かれている、貧乏神に取り憑かれているというのかな……?
あさましく、欲に溺れている時も
貧乏神に取り憑かれている状態だと思います。
貧乏神は油断するとすぐ憑いてくるから……気を付けないと いけませんね。(>_<)
笑う門には福来る。
いつも
にこやかに ほがらかに すこやかに
心掛けていきたいと思います。
《にこやか》も、一歩間違えると《ニヤニヤ》になりますので、
魂胆ありきの《にこにこ》ではなく
心からにこやかな気持ちでないとね。
福の神の正体もまた自分、ということで
やっぱり自分を救えるのは自分しかいないんだと思います。
誰かの言葉や活動が救いになった、ってこともあるだろうけど
それを見付けられるアンテナを、立てといたからこそ見付けられた訳で。
やはり何でも自分次第なんだと思います。
頼るのと、依存の境界がまた難しいですが。
一回くらいの頼るなら依存にはならないんじゃないかと。
自分が自分の神様。
どんな状況に置かれても、
不幸にするか幸せにするかは自分次第。
とはいえ
どう頑張っても不幸にしかならない状況が揃った社会環境になったら
怒りでもってひっくり返す必要はありそうです。
自分にふりかかる全てが自分だけの責任ではないから。
うーん
いろいろ考えるとやはり理屈では片付けられないし上手く言うのは難しい。
とにかく、
貧乏神の正体は自分。
福の神になれるのも自分。
不幸に囚われず
欲に溺れず
自分なりの幸せを追求していくのがいいのかな と
思いました 。