離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

平和=奴隷・支配体制









朝起きて、ふと気付いたんです。









《平和》を望むって、奴隷制や支配体制を望むことではないか?? と。











「常識を疑え」

とは よく言います。







私達は当然のように《平和》を望みます。

当たり前です。平和なほうがいいですもの。。

私だって、四国お遍路をしている時には世界平和を願いながら各寺を巡っていました。
それが何だか素敵な・立派なことをしているように思っていました。










でも“平和”って何??




平和を望むということは、

“今”

に平和は無いのでしょうか??





何故、我々は当たり前のように平和を望むのでしょうか??





当たり前のように 人類の最終目標のように平和を望んでいたということ、

そこに、疑問を感じました。













私は生業で家畜を飼っているのですが、

家畜は、柵に囲まれた所で暮らしてますが、

野生で暮らすみたいに外敵に怯えたり闘ったりする必要なく、いつでも腹一杯ご飯が食べられて、お水もいつでも飲める状態にあります。
エサや水を探して歩き回る必要はなく、仕事も勿論する必要がりません。

垂れ流しの糞尿は、人間が掃除してくれます。時にはブラッシングもしてもらえます。

敷草も、わざわざ人間が刈りて持ってきてくれます。で、汚れたら人間が片付けてくれます。

人間は、家畜のために365日毎日働き続けます。

家畜は、仕事等を一切する必要なく、悠々とたらふく飯を食って寝て暮らせるのです。


柵の中から出れないことを除けば、あれ?これってすんげー贅沢で平和なことじゃね??とも思うんですね。


人間が家畜を飼ってるようで、
その実人間が家畜のために毎日働き、実は人間が家畜を養うために飼われているんじゃないだろうか??と思うこともしばしばです。

私って家畜の奴隷かもな~♪と思いながら、毎日ウンコ掃除しています。

でもまぁ家畜は、最後殺される運命なんですけどね。


だから、
家畜ってホント何もしないで楽して生きてるな~と思いながらも、決して家畜になりたいとは思わないんですけど、

そうした自分たちの運命に気付けないのも家畜ですから、一生気付かないまま、家畜ってある意味とっても平和に生きてるな~ともよく思うんですね。(家畜を飼うって、残酷な仕事だな~とよく思います。)







平和=奴隷制・支配体制。










家畜生活が、ある意味“平和”そのものですから、


「平和」を望むって、家畜のようになる、奴隷になる、支配されて生きる、ってことと同義じゃね??って思ったんですね。



ちょうど、私達も奴隷化・家畜化されてますよね♪支配者らに。





当たり前のように平和を望み、

その「平和」が奴隷化・家畜化される、ってことなんですから、、

こ~んな世の中になっちゃったのも、
こ~んな世の中がなかなか変わらないのも、アレ?当たり前じゃん???!! って気付いちゃったんです。
(о´∀`о)





私達、「平和」「平和」言いながら、

実際には支配されることを願ってたんですよ。






願い事が叶うと思ってせっせと神社巡りしてたら神社って実は人の気を吸うためにあったのよね~ってのと同じ構図です♪(集めた気は支配者トップにいくようになってるそうです)







いやコレ 
けっこう笑えない現実です。




でも 私が支配者だったらこの手法を使うと思います。




なぜなら、私が飼ってる家畜にも同様なことをしてるからです。

家畜が喜ぶようなことをしてストレスなく太らし、結局は殺して、お金を戴いてるんです。



だから、

私達ももしかしたらそうされているのでは??というのはリアリティをもって理解できるんですね。




大多数の方は、平和を望むことが自分たちを苦しめてる支配体制を望み支持することだったなんて、到底認められないかもしれません。  

でも現実です。








でも自由は=「楽に暮らせる」 ではないので(自給自足生活してる人を見ると分かりやすいですよね)、

その自覚を持ってラクして暮らせる支配体制を望むなら、それはそれでいいと思います。

ただ、その場合、自分は望んで支配されてるので、何をされても文句はいえません。

文句があるなら、自立して自分で生きれば?ということです。


家畜で例えるなら、柵を飛び出し野生に戻る、ということです。


野生の生活が良いかといえば、良いことばかりではないのは分かると思います。

ノラ猫の寿命は5年、飼い猫は15年ほど(場合によってはそれ以上)の寿命であります。





人間には思考力があるので、
どちらがよいかは選べばいいんです。



まぁ一番したたかなのは、家畜で飼われつつも飼い主を利用していく、でしょうか?(笑)

いや、本来は自立して生きられる力を付けるべき、かな??




家畜を飼ってると、ホント人間は家畜の奴隷だな~と感じる場面が多々あります。結局、どちらが支配されてるのか、よく分からなくなってくるんですね。

(勿論、それでもやはり家畜を飼うのは動物に対して残酷なことをしてるな~と思います。それでも、離島でできる産業は限られているので生活のためやらせて頂いてますが・・ということで、この場での批判はご勘弁下さい。)










でも 難しい話抜きで、平和が一番だと思います。





ただ、

平和って、遠い未来に望むものではなく、

既に今、あるものだと思います。




幸福が実は足元にあった、ってのと同じですね。


望むものではなく、気付くもの。




平和といえば、既に今、平和だと思います。
色んな問題は……ありますけど。平和は平和です。

やみくもにやたらと平和を望むでなく、今ある平和に気付くこと。そこが、まず大事だと思います。

世間は戦争時代を持ち出しては平和な世の中を望ませますが、今も実は戦時中みたいなものですけど、、平和な部分も、実はたくさんあるんですよね。


勿論、解決したい問題も沢山あります。

せっかく解決法があったのに、潰されたものも数多くあります。


でも、

ただ「平和になりますように」と祈ってるだけでは、絶対に解決しません。
祈るなら、祈り方を変えないとならないのでは??と思います。

漠然と、大きく平和を祈っても、いま既に平和なのですから、今の社会体制・支配体制が続くだけなんですね。










そんなことに気付いた今朝でした。