離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

12月31日





年末 大晦日


















昨日のような土砂降り雨こそ降らなかったものの、風バーバーで大荒れ天気。


明日は晴れるという予報は本当なのだろうか??



























今日で《いばや通信》が終了する。







率直にいって寂しい。







でも、


「寂しい」と思うのは、自分がそれだけ依存してたからでもあるだろうから

思わないでいいようにしていきたい。







おわりはじまり



はじまりおわりではなく はじまりははじまり。










いばや通信のない日々が始まる。






終わりを宣言し、終わりまでの猶予を与えてくれたのがSさん最大の優しさであり強さだと思う。






これからは

我々が 自分自身で紡いでいかないとね。。























思えば

私はいばや通信をけっこう前から知っていたのではないかと思う。

乙武さんから連絡が来た!といっている頃だったから、割と初期の頃ではなかったかと思う。




あの時は、他人をディスる記事も平気で書いていて、私が「そのようなことを書くのは止めたほうがいい・記事のその部分も消したほうがいいと思う」
という旨をメールしても、記事を消すことはしない、という返答が返ってきた。驚いた。

でも それならもう私には経過を見守るしかなかった。
 
久高島で上半身裸で自転車に乗るという島民からしたら迷惑な御法度行為の写真を堂々と載せていても たしなめることはもうしなかった。



私はいつも見守る側で傍観者だった。


だから口出しする権利もないのだ。












それから何年も経って、終了宣言をしてからは特に、言葉の純度がものすごかった。

同じ日本語なのに どうしてここまで違うのだろう?と思うほど。



いつも生きることを問いていた人が生きる道筋を見付けたことを共に見届けさせて頂いたことには感動と感謝しかない。

この 魂震える喜びを 表現する言葉が私にはまだ分からない。




ただ

Sさんは

『次はお前の番だ』


と放ちたかったから

ブログに終止符を打ちたかったのではないかと思う。







地球や大地を偉大なる母と形容したりする言葉があるが

父をそのようなものにたとえた例を私は見たことがない。






でも間違いなくSさんには偉大なる父性がある。




「失敗してもいいからやってこい」と言う父性、

行動で、自分の背中で、語る父性、

一歩は踏み出したけれど、その先はまだ難しい人にそっと寄り添いフォローする父性、

甘えや依存をたしなめることのできる父性、

次はお前の番だと 

強制的に背中を押しちゃう父性(笑)。









とにかく面白いものを見せて頂きました。

これからも 勝手に見守り 応援しています。







私は今いる島が酔狂的に大好きだから、

Sさんに近付ける人間になることよりも 島に求められることができる人間のほうを目指すと思います。

バカにされても批判されても それは変わらないと思う。
 

基本的にのんびり過ごすのが好きだから

成長や変化も求めない。



ただ、自分が好きになった島の姿を守りたくて、その景色まるごと次世代にバトンタッチできたら 御の字だと思っています。


意外とそれは難しいものだったりする。




そして、今の世では経済成長がないと非難されるのでしょう。




でも

成長しなかったからこそ

変わらなかったからこそ

残ってきた島の風習や文化・芸能ですから


『変わらない』ことは別に悪いことではなく

かといって良いのかも分からないけど、




『変わらなかった』からこそ、島の芸能や風習や自然や景色が今も残り

それが今も多くの人々を惹き付けているのは確かなのです 。




これからも

私は変わらず平凡に いちばん最初に沖縄で習った『ゆいまーる』を胸に刻んで 島に住みたかったけど住めなかった人のぶんまで生きていけたらな~と思う。

できたら

サトウキビの自然栽培を主流にし、農家を増やして農家の住みやすい島にしたい。

欲を出せば、白砂利の道や赤瓦の家を増やしたい。
漂着ゴミや投棄ゴミを綺麗に片付けたい。
島を愛する島の子に帰ってきて欲しい。






これらができるのか
やるのかは謎だけど




もう一度Sさんに会いたければ

一歩を踏み出し

土産話を持っていかなくてはと思う。