『魔剣伝』流星香/著、感想です。
今から30年以上前…!!に発行された、流星香さんのデビュー作になります。
もともとファンタジーノベル賞は知っていて、第一回目の時から注目はしていました。
第一回大賞受賞作「後宮小説」も持ってたし。大賞受賞作はアニメ化もされるという、今では考えられない豪華な企画もくっ付いたものでした。
んで、本屋をウロウロしては選考を勝ち残ったファンタジーノベルシリーズの本たちを眺め、挿絵に惹かれて買いました。
当時、高河ゆんさんのことはまだ知らなくて、でも既に同人界では人気の方でしたから、ファンタジーノベルシリーズでは売れたほうの作品だったそうです。
確かに、奥付を見たら第三版のものを購入していました。
高河ゆんさんの同人誌ももうほとんど処分してしまったし、十代の頃に読んでいたものなんて殆どもう持ってないのですが、これは捨てられなかったんですよね。
ちょっと難しくて、あまりじっくり読んでいなかったからもう一度じっくり読んでみようと思っていたのもあるし。
魔剣という、『魔』に魅せられたという話も何か好きだった。
単純に、高河ゆんさんの挿絵も良かった。
シナの美しさは、高河ゆんさんの絵なくして表現出来なかったんじゃなかろうか。
本当に、高河ゆんさんの絵とキャラクター、ストーリーの美しさ、妖しさが合っていました。
私は今でもこれがアニメ化されたらなー!なんて思っているんです。
Netflixとかが資金提供して作ってくれないかしら??今なら作れると思う。
もしも関係者の方がいましたら、是非、お願いします!
物語は、総じて切なかったです。
大体の内容は覚えていたけど、改めて読んでまた号泣。
結構救いのない、エンタメ作品です。
意外と残酷な描写もあったりして、あれ?こんな話だったっけー?と思うこともしばしば。
よくこんなのを小中学生の時に読んでましたよね。。大丈夫か自分。。
シナが暮らした忍びの里の掟も、けっこう厳しいし、シビア。
同じ村でも上下関係がハッキリしていて、遠慮なく自分を利用してくるし、又、利用されて役に立たないと自分もそこでは暮らせない。抜け出すのもご法度。そんなんしたら殺されるし。嫌だわ〜そんな暮らし。
でも、かつての日本って、こおいうの沢山あっただろうし、それが普通の時代だったんだと思います。
これ、リアル日本各地の奥地〜にある廃村も、かつてはこうした村だったんじゃなかろうか?とも思わせられました。
平家の落人の村とかは実際にあったみたいだし。
廃村になるくらいの奥地にある村や集落って、要は戦で追われた人たちが必死に逃げて生き延びた土地だったり、若しくはシナたちみたいに忍びを生業にしてる隠れ里とかだったりするんじゃないかなぁ。あまり表には出てこないでしょうが。
でないとあんな山奥の奥に住む理由(メリット)がないですからね。
改めて『魔剣伝』を読んで、そんな、日本の歴史にも思い馳せました。
物語の舞台は戦国時代。
まだそんな昔ではないです。
誰もが一目で惹かれる美貌を持って生まれたシナ。
刀は血を欲すると言いますが、
人知れず惹かれるものを放つ一本の魔剣。
その魔剣に魅入られた人たちが、どんどん崩壊していく様が描かれていて、儚くも、美しい。
あまりにもひとつのものに魅せられると、自我が崩壊していくのかなぁ、、、なんても思いつつ。。
私も今住む島に魅せられて住んでるクチですが。
あんまり、何かに強烈に魅せられて良いことって、ないかもねぇ。。
あんまり一つのものにこだわらない方が幸せ度は増すと思う。
作中でも、究極の面と刀を作るのに、職人は命を削っていきます。
まるで、作り手の命を吸って出来上がっていくように、職人は憔悴していきます。
究極のものを作るとは、そおいうものなのかもしれません。
んで、出来上がったら、それ以上のものを作れないようにシナに殺されちゃうし。
シナ、いつからそんな残虐になったん??(。-_-。)
愛情を受けて育ったにもかかわらず、ブッ壊れちゃったシナ。
シナの感情描写は、殆ど無いんですよね。
とにかく超人的な美しさで、強くて、不思議な力も持ってるし、神出鬼没。まさに鬼になりたいと願ったシナだし。鬼。
鬼がヒトになるのではなく
ヒトが鬼になるのだ、と。
今では、この『鬼』という存在も、地球外生命体ではないか?という考察があります。実際、人を食す宇宙人種もいるようですし。巨人もいましたしね。
作中での『鬼』は、ヒトの心を持たない、非情で強い存在、という概念に近いのでしょうが。
まぁあまりにも美しいと、何処行っても性的な目で見られたりして大変なのでしょうね。
特に戦国時代とかは、人権なんて無かったような時代ですし。
男だけど美しいシナは、当然ターゲットとなる。村を抜け出せば死罪。力がないなら従うしかない、過酷な時代。
いやーこんな時代に生まれなくて良かった。心底そう思いますね。
暁ノ段、魔剣伝上巻では、シナが生まれ育った過程、
自分を育ててくれた最愛の者を失い、ブッ壊れていくさま、そして能面と二振りの刀を作るところまでを追います。
下巻にあたる黄昏ノ段ではもう一人の主人公、コナタが出てきます。
シナとは対局の、快活で元気な男の子。とても好感が持てる男の子です。
コナタたちが暮らす村は今でいう兵庫県にあるという設定なのですが、
よくよく読んでいたら神崎村が出てくる……!!
神崎、と言えばそう、youtuberヒカルの地元ー!!(*≧∀≦*)
ま、まさか、、ここで神崎という地名が出てくるとは…!びっくりしました。
確かに、かつてはそうした地方農村の、小さな村だったのかもしれませんね。
意外な接点から、勝手にイメージが膨らみます。
黄昏ノ段では、コナタが魔剣に出逢い、求める過程、
シナを追い、シナと戦うラストまで、一気に進んでいきます。
シナは特に力はないけど、その美貌でどこに行っても時の将軍様お抱えになっているのがすごいなぁと思いました。
フィクションなのに現存した将軍が出てくると、何か変な感じがします。
まぁ出だしからして、最初に魔剣を拾ったのは斉藤道三となっているのですが。あの人、最初は僧侶だったのか??歴史はとんと分からないのですが、物語では、そうなっています。
作中、シナが一緒にいた織田信長も、実際には本能寺の変で死んでないって説もありますし。多分、焼死したように見せかけて生き延びたんだよなーって私も思っているのですが、作中では、火事のなか自害するところにもシナがいたりします。。まぁこの辺は、フィクションとして読むしかありません。
しかもそんな火事で燃え盛る城の中にいて、シナはちゃんと華麗に脱出して生き延びてるし。
どうやって?ってツッコミたくなりますが、
そこはまぁ、シナの超人的なチカラで何とかなったのでしょう。ヒトならざるチカラを持ってますからね。
「大人」になると、こおいうのをイチイチ突っ込みたくなるからダメですよねー。ファンタジーにリアルを求めちゃダメなんだってば。
物語に没入できなくなるのは、大人になって知識を得たからなのか、何かを失ったからなのか。
十代の頃のようにすんなりと無茶な設定(?!)を鵜呑みに出来なくなりつつも、
当時よりかは時代設定を理解しながら読み進めていきます。
作中では、あの有名な京都の清水寺も、舞台から死体を投げ捨てる場所なんだーという設定になっていて、おぉうマジであったっぽい設定だな、とも思ったり。。
実際はどうだったか知りませんが。。確かに、あの清水の舞台の真意は、私は知りません。
京都にあれだけ寺が多いのも、それだけ亡くなった方が多いからでしょうし。。(о´∀`о)
市内を流れる川にも死体を流してたって描写がありましたが、ガンジス川じゃあるまいし、日本でもそんなことしてたんかなー。。。
どうなんでしょう?
でもかつての京都は、戦が多かったようですから、あながち嘘でもない気がします。
今でこそ煌びやかな日本の美!ってイメージの強い京都ですけど、過去を見れば結構おどろおどろしい場所ですよね。
作者さんは、けっこう歴史を調べた上で書いてるそうなので、あんまりにも突飛なことは書いてないと思いますが。かつての京都を想像しながら読みました。
これも実際にそうなのかは分かりませんが、本当にありそうです。
今でも真の日本の首都は京都だ、とも言う説はありますし、
東京にだって皇居を守るための結界はあるので、
京都にも当然、風水を活かした大掛かりな結界はあるでしょう。私にはもちろん、詳しくは分かりませんが。
戦国時代はただでさえ死と生が混沌としていて、普通の市民も刀で人を斬っていた時代でした。
沢山の人の死と生と、様々な葛藤、慟哭があった上で今の平和な時代があるのだと思うと、本当に今ここに生きていることに感謝しかありません。有り難いことですね。
シナとコナタの物語以上に、そんなことも考えながら読み進めました。
あと、作中気になった点は、たまに出てくる呪文(呪詛?)です。
『一、ニ、三』の秘法、
『ひふみ誦文』
山伏がコナタに教えた印など、
呪詛?って言うんですかね?結構そおいうものが出てきます。
子供の頃は、こおいうのは何とも思わず読んでいましたが、今読むと、あながちファンタジーでは片付けられない、ガチもんの呪詛なのでは??って思います。
ひふみ祝詞は知っていましたが、他にも
一、ニ、三、から始めるものって、多いんだなぁ…と思いました。
作中に出てきたものが正式に正しいものなのか、フィクション混じりのものなのか、どこかで改ざんされたものを書いているのかは分かりませんが、
とりあえず何か呪詛とか祝詞って、数を数えるところから始まるんですね。
不思議なものです。
私の住む島でも、神行事の時に一から十までの数を方言で唱えたりする時があります。
数をかぞえることにそこまでの意味やチカラがあるのか?すごい疑問なんですが、
宇宙は数字で出来ているそうですし、数字を唱えるだけでも何か凄いパワーやチカラが発生するんですかねぇ。。??私にはさっぱり分かりませんが。。
作中では、死者を蘇らせる呪詛が出てきましたが、それが正式なものなのかは分かりません。軽はずみに真似して唱えるのも危険ですね。
本などに載っている祝詞も、権力者にエネルギーが行くよう改ざんされているものが殆どだそうなので、あまり真似して唱えない方が良いそうです。
私はブログ『幻の桜』に載っていたひふみ祝詞とかは一応信じています。
これを書いた方は営利目的で書いていませんし、本当に他意なく純粋無垢に書かれたブログなので一応信用に値するかなーとは思っています。が、作中に出てきた死者を蘇らせる祝詞と酷似しているので、本当のところはどうなんだろう?と、思います。
ブログ幻の桜で見た『布留の言』は、《想いのエネルギーを物質化させるための呪文》、と説明されていました。
悪用目的で唱えなければ大丈夫なものなのかもしれません。
魔剣伝に出てきたひふみ◯◯と、『幻の桜』に載っていたひふみ祝詞は、出だしのひ、ふ、み、よ、、と十まで数えるところまでは一緒でしたが、その後に続く文言は違っていました。
日本語の一言ひとことに意味があるとはいえ、そんなに呪文にチカラがあるのか?疑問ですが、
結構こうやって昔から呪詛とかは密かに使われてて、歴史を動かしてきてるんだろうなーと思いました。
陰陽師とか巫女とかは、必ず権力者は抱えてますもんね。
なんか、魔剣伝はフィクションだけど、あながち作中に出てくるもの全てがフィクションとは言い切れません。
魔剣と言われるような刀も実際あるようですしね。
刃物って、確かに何か魅せられるものがあります。血を吸ってるものは特に。
あと、話は脱線しますが、
現代でも地震を鎮める要石があるところには、要石とセットで剣(長刀)があるそうです。
剣、刀、って、何か実際に何かを鎮める?アイテムとしても使えるんですかね。多分、使えるから、これだけ今も残っているのだと思いますが。ただのモチーフとしての剣なのか、本当に何か封じるチカラがあるのか、想像力を掻き立てられるところではあります。
『魔剣伝』、総じて美しく、切ない物語でした。
小説ならではのフィクション、ファンタジーを味わえます。
やっぱ小説も良いですね。文字だけ故に、想像できる楽しさ。行間の間。
ラスト、暁の刀(赤)と黄昏の刀(青)が交わった時の光が紫色だったというのも、好きです。最終的にふたつは合わさったんですね。
シナは結局また一人になってしまったけど、もう鬼にはならない。
きっとまた、時の権力者に気に入られ、行く先々で拾われながら暮らしていくのでしょう。
能という、怪しくも美しい伝統芸能を間に挟むのも、物語のイメージと合わさって盛り上げてくれました。
この本読んで能に興味持ったよね。
神楽とかも、割と能に近いと思います。
神楽は能よりも見やすいのでオススメです。場所と時によっては無料で見れたりするし。
多分、これらも神様のことを謳って踊っているようで真の歴史が含まれていたりするんでしょうね。
昔は、こうしたものが娯楽でもありました。
あと、この魔剣伝を見て思うのは、あんまり極端に何かに魅せられるのは危険だな、ということです。
何事もほどほどに、と言えばそれまでですが、
その通りなんですよ。
何も世界で一番とか、目指さなくて良いんですよ。
自分の中で一番ならそれでいいいじゃん、っていう。オンリーワンって言っちゃうと陳腐ですが。
何かを極めるって、良いようで危険です。
まぁ、てーげー(沖縄方言で言ういい加減)がいちばん良いってことですかね。
あとは、とにかくアニメ化されたのを見たいですね。
作者もあとがきで書いてましたが、桜吹雪ひらひら、美形キャラきらきら、大小道具豪華絢爛の動画を見たいっ!
今の制作陣って、イチからオリジナルを作るよりも原作ものだから、これなんて、とっておきの良い原作だと思う。
是非とも、アニメ化、宜しくお願いしますっ!
シナの美しさと美声、能の舞と舞い散る花、、狂わされていく人たち、、アクションもあり、見た目美女で中身は男の、コナタとのBL要素もちょこっとあるぞー。良いではないか。
一般受けはしないかもだけど、高品質なものを作ったら絶対評価される。アニメならでは!の映像美になると思うんですよ。どこか、アホほど資金のあるところで、芸術作品的に作ってくれませんかね。
作者も、2021年に書かれた自身のサイトで、まだもうひとつ魔剣伝で書きたいものがあると言っていました。とはいえ、別にシナとコナタの物語ではないようでしたが。
個人的には、シナのその後が知りたいです。幸せになってくれ、シナ。
今でも、ネットの中古市場にはまだ残っているようです。機会がありましたら読んでみて下さい。
復刻されると良いですね。
高河ゆんさんの挿絵も素敵なので、必見です。
最後に。個人的にけっこう好きな挿絵を載せておきます。
この、美しさと妖しさを兼ね揃えた色気は当時の高河ゆんさんにしか描けなかったと思う。
ストーリーのイメージと、絵柄が見事に合致した、素晴らしい小説です。