離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

福島県大熊町にあったお家

 



いまは無き、福島県大熊町にあったお家の写真が出てきたのでここに載せておきたいと思います。

 

とっても大好きな田舎でした。

 

 

 

 

この地域では標準的な大きさの家。デカい。

お客さん用の出入り口。

普段はこちら側から出入りするのが多い。

裏庭から見たところ。こうしてみると瓦屋根が立派。

入り口付近。柿の木があった。

家の中はこんなカンジ。仏壇が置かれてた所。

部屋から縁側を見たところ。木枠が綺麗。

廊下。長い。畳が敷いてあって、確か、8枚は並んでいたと思います。かけっこできる。

奥に行くと、こんな風に洗面所があって、その横にトイレ。更に奥には、隠居したじいちゃんとかの生活スペースがあった。

庭。植木の間に小道もあって、ちょっとした散歩もできた。今見ると、よくこんな広いところを手入れしてたなと思います。

じいちゃんが現役引退後にやっていたキウイ畑。ここでできたキウイは、高野フルーツパーラーとかに卸されていたらしい。確かに美味しかった。

 

 

家の裏にはこんな小道があって、奥には小さな社があった。これが何かは教えてもらえず、ただ、あまり行くなとは言われていた。こっそりとよく行ってたけど(笑)

家の前にあった溜め池。農業用水としても利用してたそう。亀がいて、たまに日向ぼっこしてるのが見えた。

天井の配線。




 

 

 

私の編集下手により、

最後に、天井の配線という一番つまらない写真がきてしまいましたが、、、(о´∀`о)

すみません。。

 

 

 

 

でも、現代の配線だらけの家に比べると

とってもシンプルで、これなら電磁波も少なかったのではと思います。

 

 

 

元々は電気のなかったような時代に建てられて、

その後に電気がきたり、時代に合わせて改築•増築していった、ってカンジです。

 

 

2階は倉庫みたいになってて、一部改装してプライベート空間になってましたが、

昔はそこで冬場にカイコを飼っていたという、典型的な農家のお家でした。

 

 

 

多分、撮影したのは私が二十歳くらい‥‥??の時。

 

その時にはもう旅を志してて、もう毎年必ず帰れる訳じゃないし、と思って正月に帰った際に撮ったのでした。

 

ので、思いっきり冬に撮ったから、景色的には非常に殺風景。

 

 

まさかこれが震災前の貴重な写真になろうとは、、です。

 

 

 

 

今はもう、お家は放射線汚染もあって取り壊されてしまったので、このお家はないはずです。

 

 

溜め池の奥に広がる景色も、恐らく、役場などの復興対策施設が建って、

田んぼばっかだった景色は一変してるのだと思います。

 

 

 

自分の中で、この、日本昔ばなしに出てくるようなお家は自慢だったので、今は無いと思うととても寂しいです。

 

 

 

敷地がとっても広くて、

 

昔は豚やニワトリも飼っていました。

牛も、自分ちで屠殺して食べていたとか。

 

 

野菜畑ももちろんあったし、

裏庭の奥には炭焼き小屋もあったそうで、ほんとに自給自足できる環境が揃ってたんですよね。

 

 

水も、山からの湧き水が常に用水路を流れていたし。

 

 

 

今ではこのような環境はとても貴重なもので、

 

それだけに、こうした場所が汚染されて、国に取られて本当に悔しいです。ふざけんな、って思いますよ。

 

 

もしくは、こうした環境が揃っている所だから、原発が建てられ、汚染されたのかもしれないですが。

 

 

何でしょうね。

 

 

 

 

 

元々、年に1〜2回しか帰れない場所だったし、狭い車に乗って5〜6時間もかかったこともあったし、行くのは大変だったけど、行ってしまえば東京とは別世界の、大好きなところでした。

 

でも小学校まで片道5kmとか、スーパーは車で1時間くらい‥??(遠すぎて行ったことない。)  暮らしたいとまでは、思わなかったかな、、、、??^_^;

 

TVもあまり映らなくて、滞在中はとにかくヒマでしたね。

 

 

 

 

結局、憧れでいられるから良いんであって、

 

ここで生まれ育ってたら、、、私も、都会に出ていたかもしれません。わかりませんが。

 

 

 

何事も、メリハリは大事ということなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつまでもメソメソと震災を引きずっていて、

関係ない方には非常につまらない写真と記事だったかもしれませんが、

 

 

これも一つの 心の復興の過程と思ってお許しください。

 

 

 

 

 

 

ふるさとは 心にあって 良きものかな。

 

 

 

 

 

 

永遠の物はあらず、何事もいつかは滅びるものかもしれませんが、

 

ふるさとが無くなるのはやっぱりとても寂しいもの。

 

 

 

 

かけがえのない幼少期を与えてもらったことに感謝しつつ、、

 

 

誰の元にもふるさとが宿りますように。

 

 

 

 

 

ふるさとは心の芯にありて 芯は己を強く支える。

 

 

 

 

 

 

読み方の 「音」が同じであれば漢字が違っていても実は意味は同じといいますが、

 

 

 

心、芯、神、

 

 

 

同じ読み方をするのは興味深いですね。

 

 

 

 

神は芯にもなり心(こころ)でもあると。

 

 

 

 

 

 

 

せめて、

 

 

心に記憶として『ふるさと』が残っているのが 救いなのかもしれません。