離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

インディアンの教え

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もう20年以上前に買った雑誌になります。



高校を卒業し、晴れて社会に放り出され、宙ぶらりんのニート生活していた頃に『今日は死ぬのにいい日だ』というフレーズに魅かれて買ったのを覚えています。








***



今日は死ぬのにとてもよい日だ

あらゆる生あるものが私と共に仲よくしている。

あらゆる声が私の内で声をそろえて歌っている。

すべての美しいものがやってきて私の目のなかで憩っている。

すべての悪い考えは私から出ていってしまった。

今日は死ぬのにとてもよい日だ。

私の土地は平穏で私を取り巻いている。

私の畑にはもう最後の鋤を入れ終えた。

わが家は笑い声で満ちている。

子どもたちが帰ってきた。

うん。今日は死ぬのにとてもよい日だ。




*****




ナンシーウッドの詩になります。




当時、『死』が不幸や恐怖の象徴ではなく
幸福のピークと並んでいることに衝撃を受けました。



『死ぬ』のは不幸のどん底にいるからではなく、


幸福のピークにいる時にこそ『死ぬ』チャンスだと。





すげー見方があるもんだなぁと思いました。






同時に、この詩に出会ったとき私はニート生活で大学に進学した同級生からは遅れを取って落ちぶれた人間だと思っていたのですが、
あぁまだまだ今は死に時じゃないんだな、と思ったような気がします。人間、幸せになってからが死に時なんだなぁ…と。








よく、死にたい死にたい言ってるうちは死なないと言いますが、
恐らく、不幸ぶってるうちはまだ《死に時》ではないんでしょうね。
(自殺を遂げてしまった方に関してはまた別問題だと思いますが。)











こちらの雑誌には、他にもいろんなインディアン族の紹介や、

インディアンの教えが紹介されています。



この

インディアンの教えは、現代の病にも共通する真理を語っていますので

一部抜粋し こちらでも紹介させて戴きたいと思います。








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アメリカ・インディアンから学ぶ六つの生き方」/加藤諦三


①労働が喜びになる生き方

②バランスを大切にする生き方

③悩まない生き方

④インディアンの辞書には自己憐憫はない

⑤過程を大切にする生き方

⑥はっきりとノーを言う生き方






③悩まない生き方

・私はこんなに悩んでいますと繰り返し訴える人は、時間を持て余している人

・安易で贅沢な生活が正に悩む時間と機会を与える

・悩みから解放されたければ心を占領させるような趣味を持ちなさい

・自分が嫌われるか、自分が馬鹿にされるか、自分が好かれるか、それしか関心のない様な人が悩む





⑤過程を大切にする生き方

・「私は私の息子が、不正な事件を担当する『名誉ある弁護士』になるよりも、毎日街をきれいにするために働く善良な市街清掃人になることを望む」






⑥はっきりとノーを言う生き方


・人を傷つけることを恐れている加害恐怖はやさしさのようであるが、やさしさではない。


・インディアンの教えには[ふり]や偽善がありません。


・「相手にペコペコすること」と「他人を嫌うこと」との間には、関係がある。

相手にとりいることで物事を処理する、相手にペコペコすることで物事を処理する、しかし自分を抑えたことの不愉快さは心の底にこびりついて結局は相手を嫌いになる。



・インディアンは礼儀のために真実を隠すことはしない。

肯定は肯定である。否定は否定である。

あなたがイエスならイエスのように、あなたがノーならノーのようにしなさい。

あなたのイエスをイエスたらしめよと言うことである。

依存心の強い人のイエスは、ノーの意味である。




・拒否したら相手を傷付けないかという恐れは一方で優しさを表しているが、他方で相手に対する依存性を表している。



・イエスをイエスと言ってうまくいかなくなるような友人とは別れたほうがいい。

ノーはノーと言ってうまくいかなくなるような友人とは別れたほうがいい。





・「ちょっとした勇気」を出すことで何よりも良いことは、ノーと言った相手に素直になれる。
ノーと言った相手に明るい気持ちで接することが出来る。

しかし「内面の怒りを抑えて依頼のすべてにイエス」と言ってしまうと相手に不満だから相手に素直になれない。不満だから相手に明るくなれない。

「ちょっとした勇気」が私達の人生を変える。




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特に⑥の《ハッキリとノーを言う生き方》は、
全文を載せて何度も読み返したいくらい重要で現代に必要な心持ちだと思います。





小さな島で暮らしていても特に思うのが、

陰口が多い、ことです。

あと、人によっては「この島は暗い」 とも言います。私も、その点に関しては否定できませんが…^_^;。




原因は、いろいろあると思います。


でも、大きな原因としては、「ノーと言わないからだ!」と思いました。



“人から良く思われたい”と思うことは、誰もが抱く自然な感情かもしれませんが、

→無理(我慢)をしてイエスと言うと相手に不満を抱き、暗い感情を抱くようになる。

→相手への不満が陰口になる。自分も、暗い感情を醸し出すようになる。

(о´∀`о)


ってカラクリじゃないかと。。









嫌だな~って時には嫌だと『表現』するって、

思った以上に大事みたいです。


大事。










あと、



大人になると「叱られなくなる」んですけど、

これも、《本当は不満に思ってるけど“気を使って”、言わない・言えない》状態なだけで、

気を使ってるというより、私には

優しいフリして相手を見殺しにしてるだけのように感じるんですよね。。。。




“気を使って”、言わない・言えないなら、
陰口も言うなよ!!ってカンジだし。




表では大人しくても
陰口言ってる時点で相手を攻撃してるし、

見殺しにした上、陰から攻撃するって、、恐いですよね。でも離島暮らしって、そおいうの多いと思います。内に秘めた不満には邪悪なものも寄ってきて更に自分の中が邪悪さで汚されそうですし。。(汚されそう、っていうか、実際に魂も血液もオーラも汚れていくんだと思う。)





大人になると、もうほとんど誰も叱ってくれませんし、“気を使って”見殺しにされるばかりなので、
自分で律していかないとですね…………




や~ 

カラッ⤴と嫌なことは嫌と、表現すべし。(自分の表現が下手で、相手も鈍くて伝わらない場合はさっさと離れる、逃げるべし?)



(その表現する力が、家畜(ロボット)教育にどっぷり漬かった私には難しいんですが。)










『ちょっとした勇気が人生を変える。』












ちょっと勇気を出して「ノー」と言うことが人生を変える秘訣だと思うと


やはり

幸せの種は足元に転がってるものなのだなぁ と痛感します。