離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

1月28日 フクイチの幽霊

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晴れ。


少し雲あり。










今日も島で過ごせて嬉しいです。





ありがとうございます。


















Facebookのアカウント停止を受け、復旧を試みたが
案の定 電話番号の入力だけでは済まず、復旧させたきゃ顔写真まで送れとの指示。!

顔写真で本人かどうか確認するからだそうだが、元から私の顔知らないクセに、おかしいよね。


は~ こうやって個人情報を次々取るつもりかーと思いつつ 傍にあった漫画「GTO」を手に取り、表紙に描かれていた鬼塚英吉の写真を送ってやった。


一応、送信はできたけど、

なんかもうFacebookページへのアクセスすらできなくなっちゃったぜぃ・・・・
(о´∀`о)




は~

訳ワカメだわ。






Facebook嫌い。


個人情報を次々取るくせに、何が安全上の問題じゃ!!お前らが一番安全じゃないわ!!








……………と、まぁ怒りの愚痴は置いときまして。














いや~すごい記事を読ませて頂いたんです。

https://note.com/chiaki_photo/n/n136661aced5d





いばやグループ(?!)(と、勝手に呼ばせてもらっています)の、巫女シャーマンフォトグラファーさんの書いたフクイチに関する記事です。





涙腺崩壊した。










フクイチの話はダメよ。私の大好きな田舎があったところ。

あの震災で直接亡くなった親戚はいなかったのは幸いだけど、事態が事態なだけにとても複雑な心情を抱えています。






彼女らは、自分たちの活動の移動中に道を間違えてフクイチ近くまで行ってしまったとのこと。

そしたら、霊の重みを感じて、怖かったそうだ。

そうだよね。

震災よりずっと前に原発のすぐ横を通ったことあったけど、心霊スポット行ったみたいにぞっとしたもん。

巨大な箱。原発。中にはチェルノブイリと同じものが収められてるところ。巨大で、立派すぎるくらい立派だけど、無機質で、不気味だった。





震災後に、たくさんの被災者も出した後だったら、尚更 幽霊がたくさんいたよね。

驚かせて、怖がらせてしまって、ごめんなさい。










この方が綴った幽霊の声がリアルだったんです。



悲しいとか苦しいとかの他に、
さいご、「返して」というのも聞こえたそうだ。

「返して」は、放射能汚染されたふるさとを「返して」、だよね。

私もそう思ってるよ。

だから、すごいリアルだった。


私の生き霊も、いたかもしれない。


怖い思いさせてごめん。













彼女の綴る、真摯で思いやりのある言葉の数々が、封じ込めてた私の心に染み入ってきて

封じ込めてた涙が出てしまった。





ダメだよ。島には泣き場所がないんだよ。泣いたらすぐ目が腫れるから、家族にも変に気使わせるし、売店にもいけなくなる。泣いたら、困るんだよ。



でも、

無理だった。






仕方ないので 

浄化の涙と思い、泣けるだけ泣いた。






失恋の涙と違って泣いても泣いてもスッキリしないよ。(笑)







まぁいいさ。











また、この言葉を読んで、またボロボロに泣いてしまいました 。



************

生きている人間には

全員に等しく

力が、あるのだ。

亡くなった人が

変えられないことを

動かしていける力が。

************







うん。




そうだね。






幽霊たちは、

きっと自分たちの分も宜しく頼むと、訴えていたのかもしれない。
(そんなん頼まれても困っちゃうけど。)






幽霊も、生きてる人間も、同じ空間に存在してるのかもしれないけど、

きっともう次元が違う。



この世のことを変えていくことは いま生きてる人間にしかできない。。









昨晩このブログを読んで、寝て、



早朝、目覚めてゴロゴロしながらふと思った。



3.11に祭りをやったらいいんじゃないかと。。



《11》は、イルミに於いてはテロ決起を表す数字だそうで、そう考えると縁起悪いんだけど(´-ω-`)、

日本じゃ11月22日は良い夫婦の日、って言うくらい11→良い、って意味だもんね。





3(さぁ)11(良い)世の中へ、ってことで、

鎮魂と再生の意味を込めて、祭りをやったらどうだろうと思った。




いつまで哀しんでたって、何も変わらないもの。

行動しなきゃ、変わらない。




でも、



哀しみを恨みで返してももっと何にもならない。



哀しみや苦しみを、ねじって昇華させる。




哀しみや苦しみを、ねじって祭りで昇華させる。



私達の生命の源であるDNAからしてねじれているので、哀しみや苦しみをねじって反転、喜びや希望に繋げることも絶対に可能なはずなんです。







沖縄は、昔から他国に支配されたり翻弄されてきて、それでもやり返すことはしなかった。

(やり返す力もなかっただけかもしれないけれど)、


哀しみや苦しみを唄に変え、踊りに変え、たくさんの祈りと共に祭りにした。だから沖縄には芸能が多い。苦しかった時代ほど、たくさんの唄が生まれてきました。







これじゃないかと思う。






福島にこれから必要なのは、祭りじゃないか と。奇しくも福島県の名にも「島」がつくし。




というか、

『祭り』が生まれた起源って、こおいうことか??と思った。





苦しいとき、辛いとき、それを乗り越えて『次』に繋げるために、祈りを込めて感情を昇華させる行為。祭り。

自分たちのアイデンティティも守る、手段。






この苦しみを唄にするもよし、
この辛さを踊りにするもよし、

それらを見るだけもよし、




悲しい時、じっとしているだけよりも
何かしてたり夢中になるものがあったほうが楽になれたりしますし。

祭りをやることはきっと癒しにもなる。その土地に漂う霊たちの鎮魂にもなる。


花火大会の花火も、確か元は鎮魂のために打ち上げたんですよね。










そう考えると、

沖縄の“祭り”も、ただおちゃらけるイメージの祭りではなくって、

五穀豊穣を祈ったり、恵みに感謝したり、苦労してきた先人たちに想いを寄せたり、祭りを通して地域住民同士のコミュニケーションに役立ったり している訳です。

(だから、観光資源として観光客が押し寄せるのって違うなーと思う訳です。)










現実的に、
じゃあどうやって福島県にこのことを伝えるか??という問題点もあるんですが、

とにかく、まずは個人レベルで

辛ければ辛いほど、それを唄にするなり絵にするなり何かしらの別の表現に、変えていったらいいと思う。

祭りが良いのは、そうした芸術面に昇華できない人も同じ空間にいられること、地域全体でやることにより、感情を共有して結束が高まることです。

一人で抱えてたら辛過ぎることも、誰かと共有できたら気持ちが楽になったりするし、
でも喜びは倍になります。三人集まりゃ文珠の知恵も、地域全体でやったらもっともっと良いアイデアが出るかもしれない。




『祭り』には、凄いパワーがあると思うさぁ。  



沖縄のエイサーなんか、今や全国でやってたりするし。すごいよね。愛されてます。沖縄の芸能。そして、芸能を通して、沖縄出身じゃない人も沖縄に入れる。芸能を通して、沖縄を知ってもらえて、沖縄の問題点も共有していける。

沖縄の芸能力、改めて凄いと思います。





昔から他国に翻弄され、毎年のように台風に襲われてきた島だからこそ、

平和にやっていく知恵が詰まっています。







平和、ってざっくりいうのもどうかなーと思いますが…(家畜化され支配されてても衣食住に困らなければ一応平和ですし……)





平和、ってより


『調和』 っていうのが本来かもしれません。菌の世界でも調和が大切だし。



でも、調和っていうと、一般的には判りにくいし。。どう表現したらいいんだろ。。
人によって、平和の受けとり方も違うので、難しいけど。。


良きものは採用し、悪しきものはダメだというのがまかり通る世がいいかな。。

多様性があって

その都度、軌道修正もできて。。






平和、和平について語るにはまだまだ私では足りないけど



とりあえず、もう3.11、さぁここから良い世に。

11という数字をを、テロ決起の意味にしとくなんて嫌です。



災害が起こされたとしても。

そのまま負けたりしません。





七転び八起き。

災い転じて福と成す。

正義は勝つ。





本気は必ず伝わる。

夢は必ず叶う。







『やれば、なんとかなる。』





















フクイチ思い出してボロ泣きしたけど…






そのままではおわりません。








底まで落ちたボールは、必ず上がってきます。











3.11から今年で10年。













そろそろ、




上がっていきたい。