離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

改めてナウシカーーーナウシカの先へーーー

 

 

 

 

風の谷のナウシカ」の漫画も断捨離しようと思って、その前に、読み込んでいました。

 

 

 

1〜6巻は既に処分させて頂いたのですが、7巻は流石に物語のクライマックスでこれでもか!と深い内容が組み込まれているので、なかなか処分できないでいました。

 

 

 

 

7巻は難解で、内容も濃く、これ以外の巻が単なる戦争シーンの連続に思えるくらいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

7巻では、

未知の技術が詰まった墓所へと到達し、中にも入っていきます。

 

 

この墓所には、汚染の中でしか生きられないナウシカ達を清浄な世界でも生きられるようにする技術もありますが、王蟲を培養しヒドラ巨神兵を生み出す技術も眠っています。

 

腐海が世界を浄化した後に生まれてくる新しい穏やかな人類の卵もありましたが、ナウシカはそれらを含め全部をぶっ壊す選択をします。

 

 

 

どんなに醜い生物にも慈悲深い対応をしてきたナウシカが、この先の未来に生まれてくるであろう新しい人類の卵については、躊躇いなく迷わずぶっ壊したので、そこはもうちょっと悩んで欲しかったというか、矛盾してる気がするというか、

この辺が描き足りてないので、何か読んでてすっきりしないんだと思います。

アレ?未来の人類は死んでもいいんかいッ?みたいな。でも、まぁ墓所を閉じるには、あれしかなかったと思うけど。すごい決断をしたよね。ナウシカ

 

 

 

結局、生命というのは、自分のエゴ全開で生きているんだと思います。

 

 

 

 

墓所の主も、自分たちがもう一度世界が清浄になったら生まれてこようと卵を用意してて。その間、世界を繋いでもらうナウシカたちには役目を終えたら滅びるように仕組んでて。

 

命を何だと思ってるんじゃ!っていう、エゴ全開。

 

でも、墓所の主も自分らが生き延びるのに必死だから、他人の命なんて考えてないですよ。自分らが作り出した命なんだからどうしようが勝手でしょ、ってなもんです。そんなもんなんだよ。生命って。

 

そこにナウシカは激昂して

 

『私達の身体が人工で作り変えられていても

私達の生命は私達のものだ

 

生命は生命の力で生きている』

 

と言い返します。

 

 

『亡びは私達のくらしのすでに一部になっている』

 

と、自分たちの滅びる運命を受け入れています。

 

 

 

それに対し、墓所の主は「再生への努力を放棄して人間を亡びるにまかせるのか?」と言いますが、

 

 

ナウシカたちは、仕組まれた生命のレールではなく、

 

生命自身が持っている『変わっていく』チカラに、賭けたいんだと思います。

作中では、人類が生きるか死ぬか、『それはこの星が決めること……』と言ってます。

 

 

 

 

『すべては闇から生まれ闇に帰る』

 

と言ってみたり、

 

『ちがう

いのちは闇の中にまたたく光だ!!』

 

と言ってみたり、、

 

 

どっちやねーん。。。とツッコミたくなりますが、

 

多分、どちらも本当で、

 

 

矛盾してるけど矛盾してない、みたいな

 

禅問答みたいな結末が『本当』なんだと思います。

 

何のこっちゃ、と思った方も多いと思いますが、

きっと世の中はメビウスの輪と一緒で、

 

表を歩いてたと思ったら裏になるし、

裏だと思ってたら表になるし、、、っていう、

 

陰陽の世界と一緒で、

どちらも混沌としているのが生命であり世界なんだと思います。あくまで私の解釈ですが。

 

 

だから、墓所の主の言うことも一応は正しいし、正解なんだけど、

 

ナウシカの考えも、正解です。

 

 

 

だいたい、墓所の主だって、新しい生命を生み出す技術を持ちつつも

世界を滅ぼす技術も持っている。

 

墓所の主も100%正しい?訳ではないんですよね。

 

というか、多分、何事も陰陽だから、新たな生命を作れる技術を見つけたということは滅ぼせる技術もセットで見つかってしまうという……そおいうことなのかなー……と思います。

 

何事も、使う人次第なんでしょうね。今の科学技術もそうです。

 

 

 

 

穏やかに、争いが一切なく調和して生きるということも、たぶん可能なんでしょうけど、

 

漫画「イティハーサ」でも描かれていましたが、

そおいう調和と平和しかない世界というのは、人々の自己を無くした、何かに従属して生きていく世界になるんだと思います。(多分、ですよ)

 

 

 

ナウシカがシュワに行く前に出逢った秘密の庭?も、それはそれは素晴らしい世界で、調和と平和、音楽と詩に溢れた世界でしたが、結局、それを支えているのは黙って働いてるヒドラ、っていう。

結局、その平和を維持するのに奴隷使ってるじゃんっていうね。

まぁこの世界のヒドラは、現代でいうロボットのようなもので、そもそも自分の意思とかを持たないので良いのかもしれませんが……

 

 

シューティングゲームというものがある通り、争いもまたエンタメなので、“意思”を持った人間が生きている限り争いは無くならないのかもしれません。

ナウシカも、『苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから……』と言っていました。

『清浄と汚濁こそ生命』、だとも。

 

 

 

トルメキアの欲深い王様でさえも、結局は「自分の運命は自分で決める」と、墓所に仕えることは拒否したので、人間、やっぱり自分の意思で決めた通りに生きていきたいんだと思います。

人に従って生きてれば楽ですけど、それだと、自分が死んでるようでつまらない…ってやつですね。

 

平和は有り難く尊いけど、ずーーっと平和なままでもつまらない、みたいな。

 

 

要は、平和を享受しつつも、たまには刺激が欲しい、

退屈には耐えられない、というやつです。

 

人間てわがままですね。

 

だからこそ、世界がずっと続いているのかもしれませんが。

 

 

 

やっぱり、ナウシカは、奥が深いです。

 

 

 

 

そして、墓所の血と、王蟲の血が同じだったという。。。。

 

これ、けっこうサラッと言われて終わってるけど、なかなか重要じゃないですか?

 

 

王蟲にも、人を再生できる力がありましたし。

王蟲自体も、神様みたいでしたよね。不思議なものです。

 

全てはフラクタル構造というか、

神は自分に似せたものを作るというのか、

 

墓所は無くなりましたけど、結局、王蟲の再生力に目をつけた人が王蟲を研究したりして、また同じ技術を生み出しそうですよね。

 

そおいうループの中を生きてるだけなのでしょうか?

 

 

現実世界でも、我々はトーラス体の中をぐるぐると輪廻転生しながら生きてると言いますが。。。

(そこから出ることはなかなか出来なくて、できたと言った人は窒息死したそうです。トーラス体から出ることができたから窒息というカタチで亡くなり、魂が別の次元に行ったのか、何なのかは分かりません。)

 

 

 

あまり考えても、分からないループにはまるだけですね。

 

まぁ普段は、今あるものに感謝しながら楽しく平和に、やっていきましょう。

 

 

刺激が欲しかったら、争いをするのではなく旅に出るのが個人的にはオススメです。

 

旅は良いよ。本当に。

 

 

古代人もよくあちこちに行っていたそうですが、その気持ちは分かります。

 

 

この地球には、現代に於いても全てを自分の目で見ることは難しいです。

 

すごいお金持ちだったら可能かもしれませんけど、旅してばかりも飽きてきますしね。

休み休み旅しても、人生一回では足りないのではないでしょうか。

 

 

 

 

いかに調和しながら平和に、楽しく、幸せに生きるかは、人類がずっと抱えてるテーマなのかもしれませんが、人間の想像できることは実現可能なので、絶対に可能だと思います。

やろうとしてできないことはなし。

 

 

量子力学と「思考は実現する」の真理。

 

 

 

 

 

 

ナウシカのような世界観になってしまった現代ではありますが、

 

ナウシカの先に、行きましょう。

 

 

 

 

ナウシカの先の世界を、これからは想像していきたいと思います。