離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

6月24日

 

 

晴れ。

 

 

 

今日も強烈な陽射し。

 

 

 

 

太陽光に直接当たると、自分が殺菌されてるみたいでけっこう気持ち良い。

 

 

紫外線が強いのでちょっとの間だけだけど、けっこうオススメ。

 

太陽光にはやっぱり何かパワーがある。

 

 

 

 

 

身体さんも、細胞の隅々に意識を向けてもらうと嬉しいのだそうだ。

 

意識を向けてもらうと、太陽が当たったみたいにエネルギーが増して、病気も治っていくらしい。

 

身体の中にも宇宙がある。

 

 

『意識』が、身体にとっての太陽と思うと面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うだる暑さ。変わらない日常。変化のない毎日。

 

 

当たり前に時間が過ぎて、気付けば明日になっている。

そんな毎日と思っていたら、

 

昔 お世話になった人が他界していた。

 

 

 

 

 

島の人は具合が悪くなるとそっと入院して島から離れてしまうから、最近姿が見えないな〜と思っていたらの訃報。

 

実感がないままの事実上のお別れ。

 

 

 

何だかな〜。。。さみしい。

 

もう、いないのかと思うと、さみしい。

 

迷惑をかけられたこともあって、頭にきたこともあるけど、もういないんだなぁ。。

 

「もうこの世にはいないんだ」というのは、不思議で、さみしい。もう会えないというのは、可能性がなくて、さみしい。

 

 

 

 

 

 

まいにち草と格闘していて、草たちは刈っても刈っても生えてくるから、

なんとなく命は自分と一緒に永遠なんだという感覚になっていたけど、

 

それぞれに、持ってる時間は違うんだなぁ。。

 

 

 

 

今、共に時間を過ごしている人たちが何だか凄いように思えてきた。

もっと一緒に過ごしたほうが良いよね。

 

 

でも、私は臆病だから、それでもあんまり関わりは持たない気はするけど。

本当はどこかで、もっと関わりたいんだ。なぁ。。

 

 

 

 

 

最近は、島のあちこちで古民家も取り壊されているし、否が応でも時代の流れを感じる。

 

 

時代は、ある世代がいなくなっていったら否が応でも変わる。人員構成が変わるからだ。それに伴って、価値観も変わる。

 

コロ枠で、その流れは強制的に早まった。自然でないその流れは、土砂崩れを起こさなきゃ良いけどね。。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても。

 

 

せっかく赤瓦に葺き替えたローンが払い終えたのであろうタイミングで亡くなるとは。。

 

せっかく赤瓦に出来たのに、これから、ローンも払い終えてゆっくりできるところだっただろうに。何だかねぇ。。

 

 

 

お金、ローンの仕組みがそうなってるのだから仕方ない面もあるんだろうけど、

支払いで現役世代が終わって、大してゆっくりする間もなくこの世を去るって、複雑だよ。

 

ローンの支払いしながら働くために生きてるんじゃない、っつーの。

(そうなるように仕組まれてるけどね)

 

 

 

 

 

 

 

これからできたら家を建て替えたい夢のある私としては、

多少無理してでも建て替えるか、このまま不便さを享受しながらローン無しに生きるか、

 

どっちが良いのか悩む。。(о´∀`о)

 

 

建て替えて、ちゃっちゃと支払い済ますのが理想的なんだけど。

 

島でそんなに稼げるか??

 

 

 

世の中の資産家が僻地にいないように、

 

 

僻地で稼ぐって、あんまピンとこないよね。

 

僻地にいたら稼げないんじゃないの??

 

 

 

 

でも、やりようによっては、これからの時代なら可能になるかも?

時代は、変わるし。

 

 

 

 

 

 

可能にしていけるようなプラン、イメージを、掴んでいきたい。そっちのほうが、夢があるじゃないか。

 

 

 

 

夢を描こう。

 

 

 

 

我々に足りないのは、自分の理想を描くチカラ【想像力】だ。