離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

8月24日;掴みに行かねば















気の抜けた台風が去っていった。





弱い台風でよかったけど。






風は冬場の風バーバーに及ばないくらいで

でも波は六メートルあったらしい。




珍しくフェリーも欠航した。



雨はちょっと降ったくらい。




















最近、悟ったのは

「本当に困っている時にこそ誰も助けてくれない。」

ということ。




本当に困った経験のある人になら理解してもらえると思う。




本当に困ってる時ほど

助けの手はなく 孤独さを痛感する。

笑ってしまうほど どうしようもなくなる。


死にたくても死なない。

血ヘド吐いてでも 己で立ち上がるしかない。 




道で倒れてたら、救急車呼んでもらえるのにねぇ??

貧血で倒れただけでも心配してもらえるのにねぇ??



本当に困っている人からは人は離れていく。





深刻さを前に、ひるむのだろう。

いや誰も、“厄”には触れたくない的な……
( ´∀`)
(厄扱いかよ!)




又は、困難を乗り越えてきた人が少ないのだろう。逃げてたほうが圧倒的に楽だもん。






よって、

他人をアテにしても解決は難しい。

深刻に、重くなっても逃げられる。



本当に助けて欲しければ

入ってきやすいようにカラッと明るくなるしかないのかもしれない。



問題点を笑い飛ばせるほどに


問題解決はゲームであり


一緒にクリアしてみたくなるような見せ方をしたほうが良いのかもしれない。



私の問題はまだ解決してないので本当のところはどうだか判らないが






とりあえず



重く深刻になるほど人は離れていくという冷酷な現実は分かった。



うまいこと同情を集められる人が羨ましいわ。。( ´∀`)

















あともいっこ悟ったことは



「世の中お金が無いと生きていけない」のではなく、

「お金が無くても動く人」がいないと成り立たない

ということ。




金にがめつくなり、我欲ばかり追う人だらけになったら世界は滅びる。


逆に、
金の損得勘定抜きに『気持ち』で動く人がいるとあらゆる場面で助かる人が出てくる。



島の暮らしなんか、モロにこの『気持ち』で成り立っている。


売店で売られている商品一つでも、
輸送のためにわざわざ段ボールに詰めてくれる業者さん、目的の船に積む人、島に着いてからバケツリレーで荷下ろししてくれる人、港から売店まで運ぶ人、売店で棚に並べる人、、

実にいろんな人の手に渡り、運ばれてきてようやく買うという行為ができる。



業者さんとかは仕事でやってる訳だけど、

離島相手じゃなければ不要な仕事な訳だし


やっぱり大変な、余計な仕事だと思う。



でもその「余計」をやってくれなかったら、

離島には商品が届かない訳で。



特に港でバケツリレーして荷下ろししてくれてる人たちは、完全にボランティアだから
本当に有り難いと思う。当たり前じゃないよ。
『気持ち』がないとできないよ。


自分も、そおいうことが出来る人間になることが、島を支える一員になる。



どれだけ、多くの部分で気持ちのある人達に支えられてるか。




都会じゃ分かりにくいかもだから

分かりやすい離島で 見て欲しい。。


島は社会の縮図。

世界はフラクタル構造だから

小さな島で起きていることを見ると社会で起きていることも判る。




やっぱ『ゆいまーる』は大事。


『ゆいまーる』あればみんなで支え合える。

ゆいまーる亡くして我欲に走ると
いろんなところで歪みが生まれて 消耗して
いろんなものが消滅してく。






人間の、、「欲」をいかにコントロールできるかだな。。 


優越感とか、欲しい人には何言っても届かなそうだし・・


私から見たら、支配欲とか優越感とか追いかけてるのは、ダサいんだけど。

向こうから見たらきっと私みたいのがダサくて。





市民レベルでの価値観の変換ってどうしたらいいんだろ。。


マスコミで印象操作しちゃえば楽なんだけど。

そのマスコミが支配者の手の中だしね。















飢えたものの念が一番強いみたいだから、

貧乏な我々は飢えて、強く念じてやればいいのか。。?










最近は、クソ気分悪くなることが続いてるから、死ね死ねばかり思っていた。

人間、一度は死にそうになったほうがいい。

クソな奴など踏みつける価値もない。踏みつけてやることすらあり得ない。どっか見えないところにいってくれ。

そんなことばっか思って心を汚していた。

私の魂は汚れまくり、全然いい人ではない。

死ねなんて、誰に思ってもいけない言葉だと思いつつも
そう思わねばやってられねぇこともあるじゃねぇかと 正当化していた。


荒波でないと砕けない岩があるように


怒りの念が渦巻いている時でないと できないこともあると思うのだ。




という訳で、

最近は怒りの念を発散するべく草刈り・草取りに燃えている(笑) なんて平和なんでしょ……






普段はうんざりする草刈り・草取りも、

ストレス発散を兼ねてやると自分を痛め付けられてる感もあり、大量に出る汗で悪いものも出てくれそうだし、
一石二鳥なのだ。









怒りのエネルギーでしか砕けない岩もある。







怒った時は怒りを利用して、普段なら砕けない岩を砕いて前に進めたらいい。










困って泣いてたって 

誰も助けちゃくれないからね。








てか、


チャンスと一緒で


“助け” も 








自分で掴みに行かないと得られないものなのかもしれない 。