離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

5月9日 また逢う日のために






昨日は5月8日でゴーヤーの日だったらしい。




今日は5月9日だから悟空の日だろうか。






そんな 下らないことを思った。




でも

数字は宇宙の神秘で 力があるらしい。


数学は嫌いだったけど

数秘術的な、数字の神秘は知りたい。


















昨晩は息苦しくてほとんど眠れなかった。




野焼きの煙も吸ってたから、ノドもいがいがして咳がでた。

息苦しいから少しでも酸素を取り入れようと咳が出て

野焼きの煙でダメージ受けて咳が出て


身体を守ろうとする生理反応であるものの

このご時世に咳してるとコ○ナで嫌な顔されちゃうよね~( ´∀`)と少し困った。




息苦しくて眠れなくて、でも身体は眠いから、目をつむりながら現世と夢世界の狭間をさまよってたら、けっこうリアルな幻聴が聞こえてきた。

半分夢見てるような状態だから、幻聴というのが正しいのかは分からないけど
ラジオの音声のようなものが次から次に聞こえてきた。(о´∀`о)

次から次に何かが聞こえてくるので耳を傍立てるのは楽しかったが

いかんせんこれはヤバイんじゃないか………?と思って意識を向けるのを止めたら 次第に音は薄れ、聞こえなくなった。



たまにこおいうことがある。



聞こえてきた内容は覚えてないけど


たまに夢の中で聞いたこともない音楽を聴くこともある。

    
せめて、こうした音楽だけは覚えてて、リアル界で発表したら夢の印税生活が~⤴とか思うんだけど。


覚えてナイ。(о´∀`о)凡人・・・




夢の世界は誠に不思議なのデス。







幽体離脱はまだできてない。

眠りが浅い時がチャンスだから、この息苦しくて眠れない日々はある意味チャンスかもしれない。


眠れないなら、せめて夢で遊ぼう。


















苦しい時には、いつもお世話になった人の幸せを願うことにしている。


本当にお世話になった人ほど、もう会えない場所にいる。

今生きてたとしても、もう会えない人がほとんどだ。



それでも、願うことはできるから

せめて幸せでいますようにと 祈る。















苦しみながら生きる価値はあるのか、

苦しくても生きてる価値を思うのか

苦しいのに死ねない境遇を憐れむべきなのか

よく分からない時がある。




それでも、

生きてればまたあの人に逢えるかもしれない。


その『可能性』があるということが

生きる価値なのかなぁ、、 とふと思う。