都内のゲストハウスで、チェックアウト前に時間があったのでラウンジでコーヒーを淹れて飲んでいる。
宿泊者が自由に飲んでいいコーヒーなので、当然インスタントである。
牛乳などももちろんないので粉の代用品(クリープみたいな)に白砂糖。
私は、この組み合わせで作ったコーヒーに思い出がある。
島で、よくしてくれたおばあの家に遊びに行くといつも淹れてくれたコーヒーだ。
なんてことのない、普通のコーヒーだ。
こだわりなんてないし、いってみれば安い材料でつくったものだ。
でも、
おばあが淹れると、とっても美味しくなるのだ。不思議だった。
迷惑かな、忙しいかな、いつも そんなことを考えながら訪問していた。
おばあのことは大好きで、家族みたいに想っていたけど、私は血の繋がった家族じゃないし、本当の自分のおばあちゃんみたいに慕っていても、甘えてはいけないといつも思っていた。
でも、おばあはいつだって訪問してきた私を温かく迎えてくれて、
必ず、家に上がらせてくれてはコーヒーを淹れてくれて、畑の話や孫の話、デイケアサービスでの話などを聞かせてくれた。
部屋の壁にはたくさんの命名紙や孫が製作した工作物が貼ってあって愛で溢れていた。
島には血の繋がった家族はいない、島に居たければひとりぼっちで立つしかない私にとってそこは、ほんのちょこっと、島での愛に溢れた生活に触れられる場所だった。
今、おばあはもういない。
遠慮して、あまり訪問しなかった間に、気がつけば体調を崩して入院し、天国に旅立っていってしまった。
健康で、元気で、社交的で品があり、私のような他所からきた若僧とも平等にお話ししてくれる、そんなおばあちゃんになりたい見本のような素晴らしい人だった。
インスタントのコーヒーを見ると、
この おばあのコーヒーを思い出す。
自分で淹れたコーヒーは、確かにコーヒーだけれども
やっぱりおばあのコーヒーとは違う。
どんなに高級で高いものでつくったって、あの味は出せない。
おばあのコーヒー、美味しかったよ。大好きでした。
あまり直接は伝えられなかったけど、
今でも時々思い出しては心のなかで手を合わせます。
ありがとう 。