離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

何故こうも世界の源流には悪魔崇拝があるのか。について

 

 

 

 

 

 

相変わらず《Raptブログ》さんや《未来を見つめて》ブログさんを読みふけっています。

 

 

 

 

これらを読んでいてつくづく思うのは、とにかく何でもかんでも最終的にはア◯◯崇拝に行き着くやんけー!!ということです。

 

 

とにかく、何を調べてもどこをとっても行き着く先はア◯◯崇拝との関わりです。

 

 

 

せめて縄文時代は一万年のあいだ平和な時代だったというし大丈夫なのでは、、、、と思っていたのですが、

 

縄文土器によくある渦巻き模様とそっくりな渦巻き模様が刻まれているというアイルランドの「ニューグレンジ」という遺跡も、、調べてみたらピラミッドに似た内部構造と、奥の石室には謎の石のお皿、、、、がありました。

 

リンク貼れず申し訳ないのですが、

 

その石のお皿、、、やはり、その上で人骨が発見されたようです。

 

そのサイト記事では、お墓なのでは?と結論づけていましたが、

私に言わせればどうも生贄にされた方の一部なのでは??と思ってしまいます。。

 

 

 

話は飛びますが、

ストーンサークルには3つの役割があり、神殿、天文台、人身御供の場、だそうですが、

 

このニューグレンジも、一年に一度だけ冬至の日に朝日が奥の石室に差す、ということから

 

神殿や天文台、人身御供の場だった可能性が高いと感じます。

 

 

また、ニューグレンジの石室の作りが、天井の上部に行くにつれてすぼまったカタチをしているのも、ピラミッドを連想させます。

ピラミッドの石室の天井は平らですが、その上には重量軽減の間と呼ばれる三角形の屋根を持つ空間が確認されています。

 

どうも、作りは原始的だけどピラミッドに似ているんですよねぇ。。

 

でもって、ニューグレンジの入り口には渦巻き模様が刻まれています。

 

 

 

ピラミッドとくればア◯◯崇拝ですので、、、渦巻き模様ももしかしたら、、、???という訳です。

 

 

となると、

 

渦巻き模様が刻まれ装飾された縄文土器も、何か祭祀に使われたものだと考えるのが自然です。

 

その祭祀とはこの流れでいうと生贄儀式です。

 

 

あの縄文土器には人骨が収められていた……??と考えても不自然ではありません。

 

ではなぜ縄文土器から人骨が発見されなかったのか?

 

それは単純に、酸性土壌で溶けてしまったから、だと思います。

 

 

 

なぜ古い人骨がよく沖縄から発掘されるのかというと、沖縄は基本的にアルカリ土壌なので骨が分解され難いんですね。だから一万年以上前の人骨も残っている。

 

縄文土器には人骨が入っていたけれど、長い年月の間に骨だけ溶けて土器だけが残った、と考えることができます。

 

そう考えると、

あの日常使いでは不便極まりない装飾が施された土器や、

1メートルはあろうかという大きな土器の使い道も骨壷だったのかもしれないと想像ができます。

 

勿論、これはただの私の妄想ですが、

 

ピラミッド、渦巻き模様、祭祀、とくれば私たちが想像するような平和的な神秘的儀式ではなかったはず。。。(。-_-。)

 

 

 

 

世界の真実が知りたくて、日々いろんなサイトを覗きますが、

いやはや……どこをほじくってもア◯◯崇拝に辿り着くので、少しうんざりしてきました。。

 

 

こんなにも私達の歴史は血で塗り固められているのか??と。。悲しくなりますね。。

 

 

 

と、同時に、

 

何故こうもここまで世界中で生贄儀式が行われていたのか、不思議にも思います。

 

 

何故そこまで何処に行ってもア◯◯崇拝に熱を入れたのか??

 

 

今でも地下に潜って密かにア◯◯崇拝は行われているようですが、それでもごく一部なはずです。

 

 

 

古代の遺跡を見るに、その昔の古代で生贄儀式は公に行われていました。

 

 

でも、現代に向かうにつれて、

いちおう規模は縮小しているのです。

 

 

それは何故か?と。

 

 

 

 

 

 

 

古代にもその儀式に懐疑的な人はいたはずです。

 

権力を前に止められなかっただけか?

 

でも、何故こうも権力者は悪魔崇拝をしてきたのか???

 

 

単純に、人智を超えたチカラを欲していたからだけではないように思うのです。

 

生贄儀式は、あまりにも残酷な儀式です。

 

 

それでも人々は、毎年毎年、哀しみが増えるのも承知で、タブーを冒しそれを正当化しながらやっていたのです。

 

 

人々がそこまでして得ようとしたチカラで成し遂げたかったものは一体何なのでしょうか??

 

 

『なぜ人々は悪魔崇拝に走ったのかーーーーーー。』

 

 

ここが、不思議でした。

 

 

 

何事にもリスクがあるので、

血と哀しみで塗り固めるようなおどろおどろしい儀式など、しないで済めばそれが良いはずなのです。

でも、古代の人たちは、そのタブーを破り、そして公にやってきた。。

 

 

 

それは、

 

 

私が想像するに、

 

それだけ生きていくのが困難な時代だったからではないかと……思います。。

 

 

 

 

 

 

人は、寝不足になったり、お腹が空いたりするだけでも、精神状態がおかしくなるのです。

 

 

古代の暮らしは、野宿同然だったでしょうから、ただでさえ常に身体がダルかったりしたはずです。加えて、食料の確保も不安定だったでしょうから、栄養状態も良くなく、偏った栄養状態で偏った思考回路にもなっていたのではないかと想像します。

 

偏った思考回路になると、よくないことばかりが頭を駆け巡ります。

 

加えて、食糧難や自然災害に見舞われたら、、、、他人のことを思いやる余裕など、ないはずです。

 

 

生命は自分だけでも生き残ろうとしますから、極限状態になったら隣の人も食べることも厭わないはずです。実際、世界各地でかつては人食が行われていたと言います。基本的には飢餓から人食に走るのです。

 

 

 

どうにもできない生活苦の中で、人々は儀式を通して自分らの行為を正当化し、一部の犠牲を出しながら多数を生かしてきた。そう考えるたほうが自然です。

 

 

 

そう考えると、

今、生贄儀式を残酷でおどろおどろしいサイコパスな儀式、と捉えられるのも、

今が平和で、食糧や快適な住処が確保されているからなのかなぁ、、、、と思います。

 

 

人は、豊かになったから生贄儀式をやらなくなったし、(しなくてよくなった)、

 

生きるだけでも大変で精一杯だった時代だったからこそ生贄儀式のようなことをして、タブーにも斬り込める超人的なチカラ(精神力)を身につけると共に人肉という食糧も確保していたのかなぁ、、、、と、、思いました。。

 

 

 

これが、今の時点での、私の考察です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今の価値観で考えれば、悪魔崇拝はとてつもない大罪です。

 

でも、それは今の生活を享受出来ている身だからこそ思うのであって、

 

 

もし自分もかつての原始的で熾烈な生活に放り出されたら、、、どうなるかは自分でも分かりません。

 

 

 

原始時代って、環境汚染が無くて良いように思いますけど、

 

環境汚染が無い代わりに虫や動物たちも旺盛に生きていたでしょうから、ノミやシラミに襲われるどころじゃなかったと思います。お風呂なんて勿論無いですし、川に入ればバクテリアや細菌に感染する場合だってあったはずです。

 

毛にも覆われていない、生身の身体でこの地球に生きるしかないことを恨んだりもしたはずです。

 

 

人は、どんなに恨んでも憂いても死にたい時には死ねないのです。

 

死ぬにも死ねない、生きるにも苦しい中で

 

その苦しみや哀しみが、悪魔崇拝に繋がっていったとしても、、不思議ではありません。

 

 

 

そう思うと、、、悪魔崇拝って哀しいですね。

 

 

そもそも幸せな人がそんなことする訳ないですから。

 

これだけ世界中で悪魔崇拝が蔓延っていたってことは、、、、です。

 

 

 

 

 

今も密かに行われているとはいえ、嗜好性の意味合いが強いですし、

 

 

密かに、となっただけでも世界は豊かになった証拠なんだと思います。

 

 

 

 

 

 

世界各国の風習や祭りを調べると、生贄儀式はホントに多くて、

 

今は動物を屠ることになっている行事も、深堀りするとかつては動物ではなく人だった、というものがけっこうあります。というか、たぶん元々は人だったんだと思います。

昔は動物を狩ることも難しかったでしょうし、狩らなくても済む人間を使ったということは容易に想像できます。共喰いは、簡単に得られる食糧でもあったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん。。。。

 

 

 

 

 

 

 

なかなか、、、カオスですねぇ。。。。(。-_-。)

 

 

 

 

 

 

よく考えたら、幸せいっぱいに生きてる状況で生贄儀式なんて思いつく訳ないんだから、

 

 

そうした儀式が日常的に行われていた時代って、ホント大変な時代だったと思います。

 

勿論、私の想像の域を出ませんが。

 

 

 

 

とりあえず、まずは

 

今の時代を生きられていることに感謝だなぁ、、と思います。

 

 

 

 

 

いろんな葛藤と、たくさんの犠牲と、たくさんの工夫と努力の上に、今の生活は成り立っています。

身の周りに溢れる物一つとってみても、自分で作り出したものなど殆どないのです。

 

殆どのものが、誰かしらによって作り出されたものです。

 

 

 

現行の社会システムに問題は多けれど、

お金という概念一つでいろんなものが手に入る社会にまずは感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の真実が知りたくて、調べていくほどに悪魔崇拝に辿り着き、うんざりもしたけど

 

一周廻って考えてみれば当時の人の苦労に思いを馳せ、今に感謝する結果となりました。

 

 

 

 

決して、悪魔崇拝を肯定する訳でも容認する訳でもありません。

 

 

そうした犠牲は、無くしていかねばと思います。哀しみを、わざわざ増やす必要はありません。意図して人を苦しめることなど、無い方が良いに決まっています。犠牲になってしまった方々には、心から冥福を祈るしかありません。

今の私たちができることといえば、今生きていることに感謝するくらいならものです。

今の豊かで平和な世界に感謝するくらいなもんです。

 

そして、自分が頂いた恩を、次に廻していく。

 

『ゆいまーる』の精神が大事だなぁと切に思います。

 

 

 

 

 

 

かつての風習の源流が全て悪魔崇拝に繋がっているのも、闇から光が生まれるからでしょうか?

 

 

 

悪魔崇拝を正当化する訳にはいきませんが、我々にはどんなものも良きものに変えていける力があります。ハロウィンだって、今や日本じゃ公認でできるコスプレの日だし(^-^)

 

起源がヤバいからその行事は止めよう!なんて言ってたら地球上にある全ての行事・風習が出来なくなります。それはそれでもガス抜きも出来なくなってつまらない世の中になりますよね。

どんな起源だろうと平和で楽しい、ハッピーなものに変えていくことは出来る。

(過去に犯した罪を悔い改めることが大前提、)

 

 

 

 

 

そのしたたかさ?は良いなぁと思います。