時々雨。曇り。
太陽光の少なさと低気圧の影響か、気分が優れない。身体がとにかく重い。眠い。
こんな日は特に、できない自分を責めてしまう。
こんな暗い気持ちでいたら暗い現実がきてしまう。それは嫌だ、でもどうしても暗い気持ちを払拭できない。どうしよう。
そんな、葛藤をしながら。
なんとか良いことを考えるようにして なんとか過ごした。
何もしないでいると罪悪感を感じて余計に落ち込んでしまうので
重たい身体を引きずるように動かし雨のなかモリンガの苗を植えたりした。
どうか、島の土壌を浄化し、恵みも与えてくれますように。
ついでに雨で柔らかくなった土の雑草を引き抜く作業もしたが、キツ過ぎて途中で止めてしまった。腕の疲労は全身の疲労に通じる。
午後からは、エアコンを付けて部屋で横になって過ごした。
1時間だけ横になるつもりが、気付いたら2時間経ってた。
どうも、湿気にまみれるとダメらしい。精神にもカビが生えてくる。
私は精神にカビが生えている。いかん。焼ききるか、掃除して浄化しないと。
夕方頃から復活してきて、
洗濯もできたし、夕食後の食器洗いも難なくできた。
水回りの掃除、大事。
ずっと先延ばししていた気になるお店への、履歴書の下書きも書き始めることができた。
それなりにもう歳なので、年齢で切られるかもしれない。
でも、私なんて若いからといって仕事が出来た訳じゃないし、はつらつとしてた訳でもない。
むしろ、5分でも余分に給料が欲しくて、わざとゆっくりタイムカードを押したりしたものだ。セコいことをよく考えてたし、やってもいた。恥ずかしい。
今はもうそんなことは考えもしないから、今のほうが雇う価値はあると思う。
不安は尽きないが、やってみなくちゃ分からない。
諦めるのは、やるだけやってみてからで良い。
久々にヒカルの動画がUPされたー!と思ったら、なんかエライこっちゃになってた。
貧乏庶民としては、金持ちが苦労してるとちょっと嬉しくなっちゃう性格の悪さが発露するが、
金持ちには金持ちの苦労があるのだと思う。
落ち込みながらも立ち止まらない、進み続けるヒカルを見ながら、自分も頑張ろうと思った。
他人を許す強さ、立ち止まらない強さ、自分を肯定できる強さ、
強いひとはカッコいい。
私もカッコ良くなりたい。
そして 美しく。
誇り高く。
魂は死んでも変わらない。
この世で成長するしかない。
いざとなれば死ねば良い。
それまで、挑戦を、忘れずに。可能性を自ら捨てないように。
この人のブログはもう見るの辞めようと思ったのに、
やっぱり気になってチェックしてしまった。
公園に捨てられたゴミを嘆いてくれる感性は好きだ。
《道端にゴミを捨てなければやっていけなくなってる霊的貧困》
という表現が記されていて、そうそう…!!となる。
《霊的貧困》って、すごいワード。(о´∀`о)
そうなんよ。
美意識のない人が、増えたよね。。
でも、沖縄はまだ元から貧しかったから、貧困と言われても仕方ないけど、
沖縄よりも仕事があって時給も良い内地でさえも同じような現象が起こっているとは、、、、
いよいよ日本もかなりの貧困になってきたと思う。
ストロング缶は、外国じゃ合法ドラックと云われてる成分が入ってるしね。もう中毒になってるんだよ。そおいうものが、平気で売られてる国、日本。
そして、そおいうもので、儲けてるいる大企業。
そして、そおいうもので稼いで裕福に暮らしてる人が、確実にいるのだ。
豊かさって何だろう。
「貧すれば鈍する」とは言うが、
それでは困る。
感性の欠如は人間を人間じゃなくならせていく。
バカは全てを滅ぼし、そしてバカ自身も自分のバカに滅ぼされる。
自分はゴミをポイ捨てするほど困窮しているのだと訴えても誰も助けになんてこない。
向けられるのは、軽蔑と侮蔑。自分のしたことが自分に還ってくるだけ。残念。
出来るなら、貧した時ほど誇り高く、清廉潔白で在りたい。
これは、できる出来ないの問題じゃない。
そう、在ろうと するかしないかだけの違いだ。
気分が先で、現実が後。
感謝ノートをつけるのも良いというので、いくつか書いてみた。
手持ちの金は無いが、
とりあえず家があって、家族がいて、とりあえずみんな元気で、自由に動けて、
大変だけど、やろうと思えばできる身体もある。
それだけでも、実はとても有り難い。
私はお金は失ったけど、かわりに平穏な日常は、ある。
自分に恥じることをしなかったという自負はある。
誰かに付け狙われてる訳でもない。
むしろ、私の日常を知ったら、与えたくなるだろう。
水道の蛇口だって、このあいだ錆びて取れてしまって、替わりに竹を切ったものを当てているのだ。
いくら貧乏でもそんな家はないだろう。
我が家は蛇口さえも無くなった。でも、なんとかなっている。
別に、蛇口は金属じゃなくても良い。そおいう、常識外の発想を得られた。
常識が外れるのは楽しい。
一つ、自由になれる瞬間だ。