離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

思い出の店

雑誌Esquire 2004.9月号より

 

 

 

 

 

 

 

 

今はなき、港ターミナルにあった おそば屋さんイノーの、写真です。

 

 

 

 

懐かしいですね。

 

私にとっては、この写真の光景は港ターミナルに行くと必ずそこにある、当たり前の景色でした。

 

 

今は、全く別の方(島の子!)が、新しいお店を経営しています。

 

 

 

 

 

 

 

イノーとは、潮が引いた時に現れる珊瑚礁地帯のことです。

 

潮干狩りをしに行けば貝などが採れる、海の畑、

 

良い表現ですね。

 

 

 

 

 

当時は今よりも泡波が入手し難く、でもここに行けばいつでも300円で飲めるという、太っ腹なお店でした。

水割りで、って言ってんのに、並々注いでくれるんだよね。

おそばもここのが一番美味しかったなぁ。。(*´ω`*)

 

 

 

店主は、一見ぶっきらぼうで強面でしたが、その実とても思いやりのある方でした。

 

 

時々食べに行って顔馴染みになってくると、私の安月給で働く苦境を察してか、ゆで卵をサービスしてくれたり、でっかい湯飲みにビールを入れてくれたりもしました。(笑)

 

 

根本、優しい人なんですよね。サービス精神も旺盛。

お酒を飲むと酒グセがとても悪く、始末に負えませんでしたが。

 

数十万の売り上げを盗まれても、警察には言ったりしなかったそうです。

 

 

まだ若かったですが、数年前の4月1日に、訃報を聞きました。

 

聞いた時は、ウソでしょ?と、思いました。エイプリルフールでしたしね。

でも、そんな悪趣味な嘘をつく人はいません。

 

とても、残念でした。

 

 

 

かねてから酒はとにかく飲む人だったので、まぁそりゃあね、、という感もありましたが、

当時、もうお店は辞められていて、代わりにキビ刈りに行っていて、何時になっても来ないので家に行ってみたら亡くなっているのを発見されたそうです。

 

 

酒飲みの最後って、こんななのかな、、?と思います。

 

 

多分、どうしようもなく酒を飲む人って早死にしたくて飲む一面もあるのでしょうから何とも言えませんが、これで良かったんでしょうかね。。本人にしか分からない問いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

10年って、けっこうあっという間に過ぎるし、別に10年経ったからといって自分が変わる訳ではないので大した年月には感じないのですが、

 

10年ひと昔、とは言うもので、

 

 

この10年でけっこうな島の人がお亡くなりになりました。

 

 

お世話になった方が亡くなってしまうのはとても寂しいものです。

 

 

かつては一緒にキビ刈りもした方も、10年経てば大半が高齢化や病気で引退されてしまいました。

 

 

キビ刈り中は、そのキツさから早く終われーなどとよく思いますが、

 

今思い返すと、貴重な日々を共に過ごさせてもらっていたのだと感じます。何事も一期一会ですね。

 

 

 

 

 

 

 

この写真の切り抜きも、大事にファイルしてとっておきましたが、これにて断捨離です。

 

 

思い出は永遠です。

 

 

物をいつまでもとっておくのは執着。

 

 

執着を、できるだけ手放します。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真に写っている人も、多分、片方は知り合いです(笑)

この方も、かつては島に住んでいました。

 

 

有能な方でしたが、家庭の事情により島を去りました。

当時、民宿のヘルパーをしていた私のことを見下してきたので喧嘩した覚えがあります。

 

偏見やマウント癖が強い人を悟すのは困難でした。

 

彼には他にも仲の良いヘルパーさんがいたのに、民宿のヘルパーをやっている、給料が

格安、というだけでその人を見下す意味が分かりませんでしたが、

 

いろんな地域からいろんな価値観持った人が集まっているのが離島です。

 

無茶苦茶腹が立って哀しくなった記憶もありますが、彼を通して『許して勝つ』ということを覚えました。

 

 

彼は今でも民宿のヘルパーを見下すのかもしれませんが、民宿のヘルパーさんあっての民宿経営でしたし、訪れる観光客もそのお陰で泊まれる訳で、観光客が来れば島にも金が落ちるし、

私は、給料は安けれど自分に誇りの持てるレベルの仕事をしていたし、

 

偏見で見下さないと自分を高く見せられない人は哀れだと思います。

 

島で生き抜くための、ブランディングという意味もあったのでしょうが。

 

島にいると、このマウント癖の強い人が意外といるので辟易します。

 

 

噂やイメージで判断する人も多いですからね。仕方ないのかもしれませんが。

 

 

 

私が求める『本物』は、そうじゃないのよ。

 

 

 

 

 

イノーの店主は、ある意味本物でした。

 

 

思いやりがあり、島全体を思って行動出来る。

 

手先も器用だったので、キビ刈りも上手でした。

 

私のようなちょっと弱々しい人にもよく声を掛けていたことでしょう。

 

誰も褒めてくれなかった私の頑張りをそっと褒めてくれたりと、とても励まされた覚えがあります。見てないようで実はよく見てる人でもありました。

 

 

酒グセが悪くどうしようもない一面もありましたが、指も短かったけど、居なくなると寂しいものです。

 

 

何よりも、あの美味しいおそばが食べられなくなったのも、残念です。

 

 

最後にレシピを誰かに伝授して欲しかったなー。。

 

 

未だに似たようなおそばには出会ってません。独特の、味の濃い美味しいおそばでした。

 

 

 

 

 

 

 

今でもふと港に行けばイノーがあるような気がするんですけどね。

 

 

そっと、世代交代は進んでいきます。

 

 

 

 

 

あの店主の思いやりが、

 

どこか 島にいる人に引き継がれていけば良いなと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しい料理を出す店や本物の店には必ず店主の心意気がありますね。

 

 

 

 

 

それを、私も見習っていきたいと思います。