昼に、衝撃的なことを知って
どうしても心が落ち着かなかったから、心の内を吐露する記事を書いてしまった。
真の平和って、考え出すと難しいよね。
管理社会で、家畜のように生きるのもある意味平和だし、
思考停止してロボット人間になってても争わなければ平和だし。
一人一人がしっかりとした意思と意見を持つと、必ず相違が起きて争いの元になるし。
多分、
人間をお作りになった知的生命体?(神様)も、人間を見ながら模索しているはず。
唯一、
自然栽培に答えはあると思う。
けど、
まだ私も自然栽培を心からは理解していない。
草は取らなくて良いって言ってたのに、結局、根っこで増える草は取れ!って言うし。
不耕起で良いと言いつつ、排水は良くしないとだから溝を掘れって言うし。。。
その溝を掘って〜炭を砕いて入れて〜笹などの炭素素材を入れて〜埋め戻して〜、、、って、
それだけでもけっこう大変よ?!って挫折中。。
そもそも土が硬くて掘れんし。(о´∀`о)
微生物を増やすのに米糠を撒くと良いとは知りつつ、
その米糠が手に入らなくて頓挫。
理論が手に入っても、行動するには自分以上の力が必要だったり、お金で必要なものを買ってくる必要があったり。
理屈は知ってても、実際に行動して実践するには、なかなか……センスが問われる。
人生の中でやったこともなければ見たこともないことをやろうとしてるんだもんね。
そりゃあ難しいぜ。
自然栽培を実践するくらい、この世を平和に導くのも難しい。
でも、難しいって決めつけたら一生できないから、
一生のうちにはできるようになるため試行錯誤し続ける。
人は両者の間を揺れ続ける存在だから、それでも良いやと思ってる。
いろいろキナ臭い話や、
大災害の話も出てるけど、
もはやここまでくると開き直れる。
せめて、死ぬときには苦しまずにパパッと死ねますよう、徳を積むのみ。
『どんな未来を望むのか?』
情報に踊らされて不安になるより、
望む未来を具体的にイメージする方が大事。
妄想は得意です。
イメージしよう。
まずは島全体を綺麗にして、邪気を祓う。
次いで、
邪悪なものが入ってこれぬよう、結界を張る。
島全体の波動を上げる。
自分の不満を、ゴミのポイ捨てで表すのはよくないよ。
自分で自分の島を汚してるような島を、誰が大事にする?
汚いものにはバイ菌が湧くんだよ。
そおいうことだよね。
何でも、
結果があれば原因がある。
まずは邪気を祓え。
掃き清めよ。
なかなか…島全体を綺麗にするのは難しいんだけど。日々捨てる人がいるし。
でも、少しでも、良きことを、やっていこう。
何も知らないことも、
何も言わないことも、
何も行動しないことも罪。
『何もしない』ということが、世を戦争に導く。
それが嫌なら知れ。言え。行動しろ。
そおいうことだ。
私が都市伝説などを好きなのも、
きっと『知りたい』からだ。
平和な世に生まれ、戦争で亡くなった人にできる、唯一の弔い。
『真に賢いものは戦わずして勝つ。』
これなんよ。
でも、実はこれはまだ真理じゃなくて、
真の真は、
『戦わずして負けない。』
なのだそう。
勝ったと喜んでるうちはまだまだ。
真の賢者は戦わずとも、負けない。
私もよく
『負けても、負けない。』って自分の中で唱えるけど、うん。それで良かったのかな??
私には、できないことだらけで、どうしようもない失敗もたくさんして、
コテンパにやられる時も多いけど、そのとき表面的には相手に負けたとしても、ボロボロに敗北したとしても、
気持ちでは負けてない。負けない。
むしろ、私には負けを認められる度量がある、と、自分を褒め称える。
多くの人は平和についてなんて考えない。多勢の意見に従うだけ。だからコロ枠も打った。
考え、行動する人は、意外と少ない。
又、多くの人は、負けを認めることは惨めなことだと解釈している。自分を惨めにしないために、敗北は絶対に認めない。結果、真実から向き合うことを避ける。都市伝説や陰謀論をオカルトだと決めつけて、更に真実から遠のく。多勢こそが正しいと根拠なく思い込み、ミスリードに流れる。『知る』ことをしない末路だ。
勿論、都市伝説や陰謀論もただの一説に過ぎない。全ての真実が一手に書かれてる場はない。
だからこそ、いろんな情報を偏見なく見る。とりあえず知る。
そして良かれと思ったことを、伝え、実行していく。
その積み重ねをやっていくしかない。
まぁ島に自衛隊が乗り込んできても、2025年の大災害?で、全て流してくれるかもね。ホントに起こるかは未知だけど。
でもこれだけ熱心に南西諸島を欲しがってるからには、何も起こらないか、南西諸島は大丈夫と踏んでいるのかもしれない。国は、いつ、何が起こるか把握してるはずだから。避難も兼ねての実効支配でしょ。
結局、
人間はずっと生息区域の奪い合いと食糧の奪い合いをやっている。
生きるため。本能がそうさせる。
どの生物もそう。
そして強いものが残る。
……はずなんだけど、
時には弱いのが生まれる。
多分、強い者同士では、喰い合うからだ。
強い者ばかりでは繁栄しない。お互いが瀕死の状態になるまでやりあうからだ。
だから、上手いこと争いから逃げて生き延びる弱い奴を作る。
弱さも時には強い武器となる。
ホント、
生命というものはよく出来ている。
全てはお釈迦様の手の平の上で転がされている。
仏様の顔は、寝ている赤ちゃんの顔。
弱いから、守ってもらえる。
何も出来ないから、何でもしてもらえる。
泣き声は、最強にうるさくて困る。
何が言いたいかよく分からなくなってきたのでこの辺で。
おやすみなさい。