離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

平和主義者のための暴力論

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平和主義者のための暴力論
モロトフ・カクテルをガンディーと』

マークボイル/著
吉田奈緒子/訳




カネなし生活をしながら自宅を無料で開放しているマークボイルさんの著書です。

写真がヨコになってたらすみません。どおいう訳か、縦に撮っても横向きで表示されてしまうんです……。





タイトルだけでも魅かれるものがあり、前々から欲しくて
東京に行った際、新宿紀伊國屋書店さんで買ってきました。(コンシェルジュさんに聞いたらすぐ探してくれたので助かりました☆)









内容は、現代社会に対する辛辣な指摘が羅列されています。

パラパラ読んだだけでも
自分にも当てはまる箇所が多々あり、心苦しくなるのであまりじっくりとは読めませんでした。




普段エコを心掛けてる人だって所詮は加害者なんだ、ということがこれでもかと書かれています。



自分は善人側だ、間違ってない、と思っている人が現実に目覚めるために読むにはいいと思います。




どれもズバリその通りなことが書かれていて流石だな、と思うのですが

問題点に対する改善策の提案が書かれていなかったのが残念な点です。
(作中でその点については敢えて書かない、というような記述がありました。)



どんなに問題点を知っても、具体的な改善策をとらなければ意味ないのですが………

そこはまぁ個人で考えろよ、ということなのかもしれません。

……大半の人は何も考えず、また明日も今日と同じ生活をして変わらないというのがリアルではないかと思いますが。









まだ全部は読んでいないのですが、

いくつか印象に残った部分を紹介したいと思います。







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現行の政治経済モデルはまちがいなく「カネで買える最高に暴力的なシステム」である




本当の経済学の知識とは、
土壌と樹木と身体に関する知識、その地の風景においていかに生活のニーズを満たすかに関する知識



産業活動の機械じかけの肛門から飛び出した画期的なテクノロジーのひとつ、テレビ


テレビは長年、憧れのライフスタイル・憧れのセックス・憧れの家を売り込んできたが、よほどの金持ちでないかぎり そのいずれをも現実に手にする機会はない。




・出版業界にはびこるお粗末な希望

出版社が好んで読者に提供するのは、むしろ、まるで非現実的で無根拠な、
けれども人々の傷つきやすい感性には心地よく響く 将来像や解決策だ。






希望はある。
ただ、ぼくらが慣れ親しんできたのとは別種の希望だ。

まず希望に見切りをつけ、絶望を受け入れること。
皮肉ながら、そこにこそ希望は存在する。







《あらゆる生命に苛烈な暴力をふるう機械文明のなかに、ぼくらは生きている。
もはや誰ひとり、ピースフルな善人を気取ることなどできない。

この時代に問わねばならないのは「暴力に荷担すべきか否か」ではなく「何に対して暴力的になるべきか」だ---》



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最後、
アメリカのイエローストーン国立公園が荒廃してしまった時に、かつてそこに存在していたオオカミを人為的に導入したら生態系が正常化して森も再生された、という話を例に、締め括られています。




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どの動物も、みずからの天性にかなう生き方を許されたとき、互いに抑制しあいつつ、《全体》の統合性を維持し補強していくのだ。

奇妙ながら、オオカミが鹿を必要とするのと同じく鹿もオオカミを必要とし、人間はひとり残らず、オオカミと鹿の両方を必要としている。


どう猛さと柔和さのどちらにも、《生》を守る闘いにおいてふさわしい時と場合がある。

そうぼくらが認めて受け入れる日が来れば、唯一無二の真の平和、すなわち《野生の平和》を経験する機会を、もう一度手にできるかもしれない。


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うーん……………


だから人間界に於けるオオカミって何やねん-!!って悶えちゃうんですが……
(о´∀`о)




何なんでしょうね??










人間は、思考力・感情が他の動物に比べて豊かなので


そう簡単にポンと出てくるものではないのかもしれませんが。






だいたい、100%平和になったら 退屈するのかもしれませんし、

私自身で言わせてもらえば、時にはスリルを求めてしまう人間です。(あ、でも人を傷付けるようなスリルではないですよ。知らない街を散歩して迷子感を楽しむ程度です。)




様々な問題がありますけど、

結局は何事も《知り》、《考え》、《勇気を出して行動してみる》、

しかないように思います。





最初から正解に辿り着ける訳ないし、

正解は無いのかもしれないし、

正解を求めてもがく姿勢こそが正解なのかもしれませんし。











あとがきで、訳者の吉田さんはこう書いていました。





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民意に反して暴走する政権トップの首をすげ替えても、
あるいはパンデミックを引き起こしているウィルスを工業的医療の力で制圧しても、

そのような存在を生み出す原因である政治経済システム---ひいては私達の文明総体---という「根っこ」を打ちすえないかぎり、何度でも同様の「症状」がぶりかえすのではないでしょうか。



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(о´∀`о)







《システム》と《文明総体》

を変えられたら、、


それがちゃんと「まとも」な方向に向いてるものなら・・・・・



『まとも』な世の中になるみたい??!











みんなでどんな《システム》にすればいいのか、どんな《文明総体》にすればいいのか、、

考えてみる価値はありそうですね♪










お金に関しては、《時間と共に価値が減るお金・腐るお金》が良いのでは?と
各方面でいわれてますね。


次は文明・価値基準。。






キーワードは『循環』・『勇気』








どんな文明(価値基準)にすれば循環していくんだろう??





私もちょっと考えてみます。。