離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

11月7日 『この世は生きるに値するんだ』というものが見たいから。







先日、

お金に困っているという人にお金を振り込んだ。






幼少期に虐待を受けて育ち、
今は親と離れ、兄弟で暮らしているという方。


幾らかバイトをしたことはあるらしいが、

なかなか続かないらしい。








ただお金を与えることがいいことだとは思っていない。

お金を与えりゃそれで済むものでもないし。


一時しのぎの金を与えることが吉になるのか凶になるのか
疑問も持った。






でもさ。

悪いけど、何もしないよりかは良いと思う結論に至った。



何もしてない外野はすっこんでて下さい。






一時的にでも、

何もしないよりかは良い。









自分が旅先で与えてもらった食事、パン、ラーメン、コーヒー、りんご、
たった一言でも掛けてくれた声、自分に向けられた関心、すれ違う一瞬に手を挙げて元気づけてくれたライダーさん、

どれも覚えているし、

とても励みになった。



そして全てが力になり、今がある。




本当に有り難い、かけがえのない経験になった。









だから、

ほんのちょっぴりでも、


あの時の人たちに恩返しするように自分も何かしたい。








貧乏人が貧乏人を助けたところで、お互いが貧乏になるだけかなぁ?なんても思ったけど、

貧乏人だからこそ金に困る人の気持ちが分かる訳で。



誰かを搾取して金持ちになるしょーもない奴にはなりたくないし。


たとえ貧乏でも、分け与えられる人でありたい。という理想を目指したい。








綺麗事でもいいさ。











何だろうと、

私は本当に困り果てた時に助けてくれた人たちの温もりを忘れない。


一時的にでも与えてくれたご飯の暖かさを知っている。







何も知らず、何もできない幼少期に辛い思いしてきた人らが大人になっても苦しめられるなんておかしいじゃないか。


宇宙の[陰陽の法則]でいえば苦あれば楽ありの筈なのに、貧困のループにこれは適用されない。

この世にいる者は等しく宇宙にいるのに、
貧困ループにだけは適用されないのはおかしい。


私はこれはエネルギーを吸われているからだと妄想する。
苦から逃げられないよう呪術的な何かが仕掛けられていて、権力者や支配者にエネルギーをちゅうちゅう吸われている。

結果、本人に与えられるべき“楽”が奪われ、苦ばかりになる。


実際、スピリチュアルやオカルト的な記事を読むと、そのような仕掛けは本当にあって、そこかしこに仕掛けられているそう。
(神社の鳥居も通る度にエネルギー吸われるらしいです。全部が全部そうかは分からないけど。)









私は、

これをぶち破りたい。






ぶち破る一手が何かは分からないけど


一方的に辛い目に遭った人がいつまでも辛いままなんておかしいんだ。









辛い目に遭った人は優しい。







優しい人が活躍できない世は堕ちていくんだよ。





優しい人ほど活躍してくれ。









優しい人が活躍したら、

世の中は絶対に良くなる気がする。




完璧はなくとも、絶対に良い方向に向かうんだ。


その、

『良い方向に向いている』ということが希望になる。

















『この世は生きるに値するんだ。』




というのが見たいというエゴ。












エゴでも、









人を笑顔にするならいいんじゃないかと思うのです。