離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

4月17日 想いの力





晴れ。









日差しは強いが風はある。









暑くなると昼食後に眠くなる。




















勇気を出した一歩がなかなか踏み出せず、うじうじしている。



勇気出しても、良い結果になるとは限らない訳で。更にうじうじ。。







現実逃避で、別のことに精が出る。


















新聞(地元紙)を見ればコ○ナ感染者増幅の記事ばかり。新聞の解約を真剣に考え始めている。




ワクチンの危険性を伝える記事はなく、

それどころか医者の書いたワクチン推進の記事が載ってる始末。


そんな記事を書くような医者のいる病院には絶対行きたくない。そんな病院は現代医療で金ばかり取り、患者や家族の幸せなどは考えてない恐ろしい魔城だ。(※偏った個人的意見です)










真の職人、真の医者、



世の中に『本物』はほんの僅かしかない。








『本物』と関われるよう、自分も『本物』を目指していきたいと思う。
























今日もたくさんのゴミを拾った。






海辺の漂着ゴミではない。


畑の周囲の防風林でだ。







ゴミを平然と捨てる人が一人いるだけで、島がどんどん汚れていく。



捨てられた場所、缶やペットボトルの銘柄で大体の犯人の目星はつく。



アンタ、バレてるよ。










自分のダサさを露呈するのではなく、


自分の美学を表現していきたい。









《美学を持っているか。》







これはけっこう大事だと思う。







自分なりの『美学』を持つこと。




自分を誇り高く思えることをやっていくこと。









小さくていい。










小さいこともできない人は、大きいこともできないのだ。








小さいことこそ大事だし、

やるかやらないかの違いは大きい。




















常に世紀末感を味わって生きているが





夢を叶えられる可能性のなかで生きていたいと思う。








四月に入り、年金、住民税、健康保険税、諸々の請求書が軒並み来たが、なんかもうコレって人頭税と一緒じゃないかと思う。



生きてるだけで払わされる税金があるのはおかしい。




生きてることは罰ゲームじゃない。




生きてることは本来、喜びだ。







生きてる人から奪うのではなく、

生きてる人に与える。




そっちの世界観になったら鬱病も消えるのではないだろうか。






鬱病の人をなんとかしようとするのではなく、
鬱病になるような社会や世界観を何とかしろよと言いたい。












私はいま毎日朝が来る度うんざりする。朝が来てしまったとがっかりする。あれも、これも、やらないと批難される、そんな一日がまた来てしまったと残念な気持ちに包まれる。そんな気持ちは抱いてはならないと思いながら、やっぱりそう思う。


そんな世界観ではダメだ。










自分が生きたいと思う世界観を自分で構築するのは大変かもしれない。



でも、私は構築していきたいと思う。





○○したいと、

“思う”か

“思うことすら諦めた”

の違いは雲泥の差だ。







私は、とりあえず思う。




できるかできないかじゃなく、


「こうなったらいいな」の未来を想う。思い描く。そして、小さくても実行していく












そりゃ、泣けてくるよ。



誰も褒めてくれないし、慰めてもくれない。勇気出して行動したって結果が吉になる訳じゃない。むしろ、やったぶんだけ批判されたりもする。





それでも。








私はそれでも、暗闇の中を歩き出せる勇気のある人が好きだから、



私もそう在りたい。















好きな人といっしょにいたい、好きな人といっしょに遊びたい、好きな人といっしょに過ごしたい、そう願うなら、


自分もその好きな人に近付いていかないとなんだ。