離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

Mr.Children『シフクノオト』

もう15年以上前に発売されたCD アルバムになりますが
Mr.Childrenの『シフクノオト』を紹介させて下さい。











誰にでも、「人生を変えた一曲」とかがあると思うのですが
私の場合はこのアルバムがfra-foaに次ぐ人生を変えた曲たちになります。













このアルバムが発売された頃、ちょうど初めての沖縄に行ってて。

最西端の与那国島で強烈な洗礼を受けました。





で、その後の夏、いつものように北海道行ってキャンプ場で寝泊まりしながらバイトして。

バイトは、夏の間の一ヶ月くらいで終わって、さてこれからどうしよう?ってウロウロしてる時にMDにダビングしてきた『シフクノオト』を聴きまくっていた。



季節は秋になって日に日に寒さを増し、
早く進路を決めて動かないと本当に寒さで身動き取れなくなってしまう。


キャンプ場からは日に日に人が減っていき、

夏の間、一緒にキャンプしてた人はシャケバイに向かい、私は一人残った。

シャケバイは、正直やる気があまりなくて、ためらっていた。申し込んではみたけど、もう定員いっぱいで空きはないようだった。


というか、心のどこかでは、与那国島の後に行った波照間島に魅かれていた。波照間の製糖工場に興味があった。また波照間に行きたかった。強く強く心を掴まれ惹かれていた。

でも沖縄に行くのは、波照間に行くのは怖かった。

北海道よりもっともっとディープな人が集まる沖縄。しかも製糖工場なんて、コテコテの旅人しか来ないだろうし、しかも寮生活。やっていけるのか。このキャンプ場にいた沖縄帰りの人とさえ挨拶もできないくらいだったのにやっていけるのか。服装も、テンションも全く違っていて、自分なんか全く相手にされないだろう。こちらが合わせるにしても無理がある。寮生活で、仕事でも一緒で、しかも簡単には逃げ出せない離島。逃げたくても船が出ないと脱出できない。お金がないと移動できない。北海道のようにいざとなったらヒッチハイクは通用しない。。



不安しかなく

自分が沖縄的旅人に染まれる素質がないのも明白。

しかも 波照間製糖工場で働ける女子は7人だけ。


全国からの応募に加え、リピーターに島の人も入れたら自分なんかがその7人に入れるのか。全くの未知数である。



逃げたい時に逃げ出せない離島という環境、
行くだけでも高額な交通費がかかるリスク、
同僚とやっていけるのかの不安、
何が起こるのか分からない不安、


それでも、……それでも、止められない波照間への気持ち。


うまく働けたとしても、間違いなくいるであろうコテコテの旅人に影響されて、もう社会復帰はできなくなるだろうという予想もあった。

普通の人として社会復帰できなかった場合、己で道を切り拓かなければならないという更なる苦労がついてくることも明白である。自分なんかに普通じゃない生き方ができるのか。カラオケで歌えもしない、自己表現すらできない自分。不安要素しかなかった。

旅人として生きる覚悟も実力もない。
憧れだけあって、実力はない。

それなのに、そんな人だらけの場にいくのか。
怖い。
でも、波照間に行きたいなら いくしかない。



葛藤。悩み。不安。




ぐるぐる ぐるぐる
どろどろ どろどろと



毎日 秋が深まり綺麗に染まる紅葉の林の中を歩きながら 文字通りさ迷いながら
このMr.Childrenの『シフクノオト』を聴いていました。


恨めしいほど綺麗な紅葉のなか、
恨めしいほど自由に気ままに過ごせている環境のなか、
ひたすら孤独で煮え切らない悩み事が渦巻いていた。





寝泊まりしていたキャンプ場には誰も話せる人がおらず 誰とも友達にはなれなくて、
ただ一人で悶々と過ごしていました。


自分で決めることだから
誰かに相談することでもないのですが
それでも少しは誰かと話したいなーとも思いつつ なんだか人と関わる気持ちも萎えてしまっていて。むしろ、誰とも関わりたくなくて避けていた。








毎日

お腹が空いたら街に降りてスーパーへ行き

図書館行ったり 役場で無料のインターネットを使わせてもらったり 風呂屋に行ったり

それだけでも自転車で移動してると一日があっという間に過ぎてしまって

夜は人や熊に襲われやしないか不安を抱え
朝は身体が冷えて五時にはトイレに目覚める日々。
テント生活は寝心地がいい訳がなく地面が傾いてたりでこぼこしてて 毎日身体がおかしく歪み痛くなった。




自分の正直な願望と 理性的な不安の狭間。

客観的に見た時の自分の滑稽さにも焦った。




怖くて怖くて
不安に押し潰されそうで 
焦りもあって


甘いものが食べたくて、でもお金があまりないから白砂糖一袋1kgを買ってテントの中で舐めながら強制的に脳を落ち着かせていた。










今思えば 単に覚悟を決めるだけだったんですけどね。^_^;



製糖工場で働くことはもう世間のレールから外れることだと思ってたし
世間のレールから外れるってことは世間からはダメ人間って思われるような罪悪感もあったから 自分の中ではいろいろ勇気が要りました。


そんだけ、世間様からの価値観の刷り込みがあったんだと思います。( ´∀`) 自分の親が真面目一徹でエリート思考だったし。自分が世間様の道を外れるってことは親からも見離されることのような気がしてたし。




自分で選ぶって、良いようで覚悟が必要。。
(о´∀`о)







結果的には、
やっぱり自分に正直になって波照間の製糖工場に電話して働きたい旨伝えて、じゃあ履歴書を送って下さいと言われて履歴書書いて送るとこまでやった後、地元に帰りました。

内地に向かうフェリーに乗る北海道最終日、朝起きて外出たら一面に霜が張っていて真っ白で本当に寒くて。 あれ以上いたら本当にヤバかったんだろうな、っていう。内地に着いてからも雨に降られて野宿する所もなくて寒いし不眠不休状態になって。本当に最後は辛かった。でも、そこまで辛い想いしないと北海道に後ろ髪引かれてしまうから。それでよかったんだと思います。







てな訳で

非常に脱線が長くなりましたが

Mr.Childrenの『シフクノオト』はいろいろダークな曲もありますが『深海』に次ぐアルバム全体で一つの音楽として成り立つどの曲も素敵なアルバムだと私は思っています。

今はスマホでダウンロードすればどの曲も聞けるんでしょうが

ぜひとも《CDアルバム》を手に取って
ジャケットデザイン含めたCD全体で、曲を聴いて欲しいと思います。 

どの曲も、完成度が高くて素晴らしいです。





私の中では
このアルバムを聴くと富良野の残酷なほど美しかった紅葉と寒さと孤独と不安が甦るのですが


最近は そんなに辛い想いをしなくても聴けるようになってきました。

記憶が昇華されてきたのかな。。










あの時の悩んだ時間は、時間的にみたらムダだったかもしれませんが

その時を経て選択した結果、今があって。


今、あのとき勇気を出して製糖工場に電話した先で対応してくれた人と島で一緒に働いてたりする時があったりすると 不思議な気持ちになります。
直接言ったことはないですけど、あの時、緊張してたから日本語もおかしかったし、電波が悪くて何度も何度も電話が切れて、それでも嫌な顔せず対応してくれて嬉しかったです。。






Mr.Children的に、この『シフクノオト』がどおいうコンセプトでつくられたのか
桜井さんが何を目指して作詞作曲したのかまでは分かりませんが




私にとっては深い葛藤から勇気を出させてくれた

人生を変えさせてくれたアルバムになります。



Mr.Childrenさん、このような曲の数々を世に出して下さってありがとうございます。
てか、全作曲・作詞・ボーカルをしている桜井さんの才能にも、改めて凄さを感じます。あんな風に、自分の経験や想いをセンス良く唄にできたらいいなぁ。。しかも唯一無二の声に唄の上手さ。憧れます。






この気持ちをどうやったらMr.Childrenに伝えられるのか よく分からなかったのでとりあえずネットに書いてみました。


到底 本人たちには伝わらないかもしれませんけど

もし 

ほんの少しでも伝わったら 嬉しいです。







今はCD が売れない時代でありますが
やっぱり私はCD という媒体が一番好きです。曲だけでなく、ジャケット・プロモーション含めて一つのアルバムっていうかたちが。








そういえば、ギターが弾けるようになりたいと思ったのも、Mr.Childrenの『花』を聴いたからでした。

よく考えたら私はけっこうMr.Childrenに影響受けてるかもですね。^_^;



いつかライヴに行って 生の唄声を聴いてみたいです。




CD が売れない時代になったって、唄は 曲は 本物です。