離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

信仰対象の始まり

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いわずもがな、スカイツリー

 

 

東京滞在中、宿のすぐ近くの隅田川沿いから見えるのでなんとなく行っては眺めてオリオンビール飲んだりしていました。

 

そう、東京のファミリーマートでもオリオンビール売ってたんですよ。

エビスビールはもう美味しいと思わない舌になってしまったんで、東京来てもオリオンです。値段も、石垣で買うのと変わらなかったかな。

 

でも11月行ったらもう売ってませんでした。

売り上げイマイチで入れ替わったのか、もともと夏季限定の販売だったのか。

 

東京にいても沖縄が感じられて良かったんだけどな〜。。

 

 

 

 

 

で、スカイツリーです。

 

 

別に、好きでも何でもないですが、

 

東京に来る度に見ていると、なんかコレ見ると東京来たな〜ってカンジになっちゃって(笑)、回数を重ねるにつれ、最近では東京着いたらまず最初に見たくなってきました。スカイツリー見たら、東京来たー!ってカンジになる。

 

反復って恐ろしい。。洗脳に近いな。

 

 

スカイツリーも、東京タワー同様     人々の“気”を集めて支配者に送る電池みたいな役割を果たしているようで(ブログ幻の桜より)

あんまり眺めちゃうのもどうなんかなーと思ったりするのですが、

 

やっぱ高い建造物ってつい見ちゃいますね。

 

 

 

これはね、なんか《崇拝》に近いと思いました。

 

〇〇行ったら仏像見たくなるみたいな。

 

崇拝に近いです。

 

ようやっと東京着いて、スカイツリー見ながら一杯やって、それで「今回も大変だったな〜」とか旅路を振り返りながら自分を労わる訳です。

で、こうしてやりたいことをやらせてもらっていることを感謝したりする。

願わくば、また来たいな〜とか、今度は誰々を連れて来たいとか何をしたいかとかもスカイツリー眺めながら思い始める訳です。

眺めるものは何だっていいんですよ

ただ、そこに一番高く目立っているから眺めるだけ。

ただ、そこに一番でん!とあるから、手でも合わせたくなるときの対象になる。それだけ。

スカイツリー自体は変わらずただ在るだけで、何もしません。

 

ただ、人は何かを願いたくなる時、何でもいいから何かに向かって拝みたくなる。そおいうときに、目立つもの、一番背の高いシンボル的なものに手を合わせたくなっちゃうものなのかな、と。

 

なんか、どっかの新興宗教がムダにデカイ仏像立てたがるのがちょっと分かった気になりました。まあアレに向かっては拝まないですけど。私は無宗教だし。いかにもカネの匂いするしな。

 

 

 

でも、信仰とか崇拝の対象というものは

こんな風にして生まれてくるもかな〜とかちょっと思ったのでした  。