離島生活で思ったこと

沖縄の離島で暮らす中で思うこと、考えたことをつらつらと書いています。思考のウンコのようなものなのでまとまりはないです。

ゴミと風水

ここ最近、雨が続いている。


雨の日は農家の人は畑仕事ができないため、家に籠るか酒を飲むかになる。

つまり出歩く人が減る訳で、
それをチャンスにゴミ拾いに精を出した。


ゴミは見かけたら拾うことにしているが、人に見られてまで拾う気は無い。これはポリシーというか、私は良いことしてますとか見られたくないのもある。良しにせよ悪しにせよ、良いことしてたって目立てば打たれるのが世の常。島では特に。わざわざゴミ拾いしてて叩かれたくないというのもある。




で、
いつも通ってて気になっていた所の、草むらに大量に落ちていた空きカンをできる限り拾った。
ほとんどビール。

たまにジュースとコーヒー缶。グロンサンの瓶。

この組み合わせはどこの場所でもあまり変わらない。



みんな、病んでいるのか?、仕事の最中、車の運転中に飲んでは草むらに捨てているらしい。捨てる場所は、不思議とどこでも一周道路から上に上がる坂道が特に多い。

飲酒運転の証拠を残すまいと車内から外へ投げ捨てるのだろうか、でも草むらに残った空き缶を見れば飲酒運転中に捨てたのは明らかで、

だいたい誰がこの道をよく通るのか考えれば犯人の目星はついてしまうだろう。全然証拠隠滅になってない。むしろ、証拠を残している。。

モラルやマナーの低下とかいう以前に、たった一枚数十円のゴミ袋をケチっているケチに見えてくる。

ゴミをポイ捨てする人って、つまりはケチだ。





もはや数の多さに怒りも感じず、

内地じゃこの空き缶を集めて生活の糧にしているホームレスさん達もいるのになぁ、もったいない、などと思いながら拾った。

多くはサビてて、中から泥が出てくる。これはリサイクルできるのかな?などと思いながら拾う。本当に汚ないのは燃やすことにしている。(それも、良いのか環境に悪いのかよくわからない。見た目が汚くてもそのまま自然分解に任せるのが良いのだろうか…)

ちなみにアルミ缶のリサイクルにもアホみたいな金や環境負荷がかかる訳で、自分のしていることが良いことなのかは本当によく分からない。ゴミをポイ捨てするのもエゴなら、それを拾うのもエゴだといつも思い虚しくなる。





空き缶のデザインで、捨てられた年代も分かる。

ビールを運転中に飲んで捨てる人は昔からいるらしい。


一人が一日一本捨てるだけで年間365本の空き缶が捨てられてく計算。

立派な公害である。


こんな光景を見た観光客は、波照間島を大事にするだろうか。粗末に扱うようになるのではないだろうか。憂えてくる。




捨てる人を変えない限り、どんなに拾っても無駄に終わる。


その無駄をお金かけてやっている自分もバカだと思う。

しかも他人を変えることはできない。


泥で汚れた缶を家に持って帰って外で雨に濡れながらバケツで洗ってゴミ袋に入れる。

大量のアリも出てきた。こびりついた落ち葉を洗い流した。一番大きなゴミ袋はすぐいっぱいになった。

それでもまだまだ拾いきれていないゴミはたくさんある。


















自分の、少しだけど全国を旅した経験から、素敵だなぁ⤴と思う処には、必ず日課のようにゴミを拾い、街を綺麗にしてくれてる人がいた。
毎朝のウォーキング時に拾う人、週末にグループで拾いながら散歩している人、
そおいう存在が、必ずいる。

波照間には今はまだ少ないかもしれないけれど、そおいう人がたくさんいる島にしていけたらと思う。


あの、天国みたいに綺麗な上高地でも、毎日ゴミ拾いしながらパトロールしている人の存在があるのだ。
私なんかまだまだだなぁ。。




日本全国で、世界中で慢性的に問題になっているゴミ問題。
世の中からプラスチック製品や使い捨て製品を減らしていくのが一番だけど、

そこまででかいことできなくても、《拾う》という小さなことをするのも大切だと思う。きっと、小さなことこそ、大切かもしれない。




そして、

風水ではまずとにかく大切なのがその《場》を綺麗にすること。

綺麗にしていれば良い神様(人)がやってくる。



逆に、汚ないと汚ない悪い神様(人)がやってくる。


泥棒や詐欺師も、家回りが汚ない家を狙うと聞く。

それは避けていかねばならない。






島中に点在する拝所は、詳しくは分からないけど風水にも基づいているのかもしれないとか思う。

名石部落から港に向かうシピラパナ道が風水師によって敷かれ、航海の安全に役立ったことは現実的にあった風水の効果だ。


拝所があり、定期的に神行事で廻ることによって清掃と点検が行われて道や場の維持整備にも役立っている一面もある。

最近では神行事をやりたがらない人もいるけれど、(宗教的な意味ではなく)やはり続けていくことは現実的に島を維持していく上で大切なことだと思う。



島民が島を聖地とし、綺麗にすることは自分達を守ることに繋がる。







どこでも島中自分家の庭のように綺麗にしていけたらと願う。























今回はゴミという説教臭い記事をあえて書かせて頂きました 。本当に説教臭くて……すみません。


ゴミ一つ、捨てられたものに宿る心理の闇は深く簡単には変わらないかもしれないかもしれないけれど、やっぱり、綺麗な島(地域)、気持ちよく過ごせる島で在るようにと願います。









ここまでお読み下さった方、ありがとうございます 。